ディレクター職に存在価値を見出せなかった私が気づいた仕事の本質

私は広告営業、クリエイティブディレクターとして地元の広告代理店に勤めている。具体的には「メディアやリアルなコミュニケーションの場を通じて顧客に自分たちの商品やサービスを届けたい」と考えるクライアントに企画提案をしたり、案件を進行管理したりするのが私の主な仕事だ。クライアントが抱えるそもそもの課題を一緒に見つけ出したり、その課題を解決したりするためにヒアリングを重ね、それを「広告」として表現している。
広告を表現するといっても私が取材、撮影、制作、編集をするわけではない。私は形にしていく「広告」で人の心や世の中を動かせられるよう、クライアントのニーズや思いに合ったアウトプットができるクリエイターたちをチーム編成し指揮系統する役割を担っている。
舵取りをする船長のような立場と伝えたらイメージしやすいだろうか。
船長は方向性を定め、それを船員たちに的確に伝達し指示する重要な存在だ。船長のいない船は行き先が見えずに漂流したり外敵にやられ沈没したりすることだってありえる。
私の仕事は船長のような役割だと思う。そのように誇れるようになったのはあの日のできごとが転機となった。
「この仕事には資格も必要ないから誰だって就ける」
「営業やディレクションってクライアントからみたら不要な経費ではないだろうか」
この仕事を始めた当初はそんな思いに縛られていた。存在価値を見出せず苦しかった。
自分と比べて「デザイナー」「ライター」「カメラマン」といった肩書きを持つクリエイターたちは目に見えやすいそれぞれのスキルを持っている。大衆が「この人が何者なのか」が理解できて、人に説明しやすい職種がとにかく羨ましかった。実績も信頼もないキャリアの浅い私は何者かになりたかったのだ。
それでもこの仕事を続けて4年目のこと。長年、さまざまな提案をしても契約に至らずにいた会社の広報担当者から突然、1本の電話をもらった。
「今年の秋に会社が創立60周年を迎えます。式典の運営をお願いできますか?」
チャンスが舞い込んできた。
私はその場でその担当者と日程を調整した。打ち合わせではご依頼の詳細を丁寧にヒアリング。
一言で「式典の運営」といっても司会者の手配、進行表の作成、動画や記念品の作成など業務内容が多岐にわたる大規模な仕事だ。それを理解したときに背筋がスゥーっと伸びたあの感覚は今でも忘れない。
この一大プロジェクトを成功させるためには、到底私ひとりでは遂行できない。プロの力が必要だ。そこで司会者、デザイナー、カメラマン、映像編集者たちに声かけをし、プロジェクトチームを立ち上げた。クライアントの意向と制作物のビジュアルとのズレが生じないように関係各者と話し合いを重ね、納期や予算を意識しながら業務を進行して式典当日を迎えた。
式典は無事成功。担当者もその会社の社長も心から喜んでくれた。さらにはチームメンバーも「また一緒に仕事しましょう」と言葉をかけてくれた。
このとき、私はようやく仕事の本質や私の役割に気づくことができた。
「仕事は一人で抱えるものではない。人に頼ったり役割を提供したりすることが仕事なんだ。仕事や雇用を生み出すところに人は集まる。自分ひとりが万能な人間になる必要はない。困ったときにサッと手を差し伸べてくれる人たちがいることのほうがずっと大切なんだ」と。
私には手を動かしてものをつくるスキルはない。けれど、相手の話を聞いたり、そのなかから課題や答えを見つけ出したりする能力があるし、一緒にものづくりに取り組んでくれる仲間もいる。
その能力を伸ばして仲間とともにこれからも「広告」という形で社会に貢献していきたい。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。