胸の大きさに振り回された私が「胸は胸」と受け入れるようになるまで

やせ型の私は、上半身がよく言えば華奢、悪く言えば貧相で、胸が小さい。失礼なことばだが、いわゆる「貧乳」だ。10代20代の頃は、その小さな胸が大きなコンプレックスだった。
これもどうかと思うが、日本では若い女性はやせていることに価値を置かれる。中学生の頃、「やせていて羨ましい」と同級生たちから何度か言われたが、私は彼女たちの豊かな胸が羨ましかった。日本人女性は、スリムであることを求められると同時に、胸は大きい方がいいとされる。
無理だよ、そんなの。もちろん胸の大きさには体脂肪だけでなく乳腺とかも関わってくるだろうが、スリムかつ巨乳の人はあまり多くないはずだ。太っている姉は巨乳で、やせている私は貧乳である。2人のブラジャーが並んで干してあるのを見ると、そのサイズの違いに毎回ぎょっとする。
コンプレックスを生じさせる身体パーツは多いだろうが、私にとっては胸だった。服のデザインによっては、胸元がパカパカしてしまう。一度、盛るためのカップが入ったビキニを買ったら、胸とカップの間にかなりの隙間ができ、水が入って悲しかった。若い頃、胸が小さい自分は、女性として価値が低い、男性にとっての女性的魅力が薄いと思い込んでいた。
女性が大きな胸をさらしたグラビア雑誌の表紙や、バストアップの方法が載った女性雑誌、胸を大きく見せるブラジャーの広告などが、嫌でも目に入ったから。青年漫画には、小玉スイカのような球体を2つ付けた、ありえない体つきの女性キャラクターも散見される(いやデフォルメしすぎだろう、こんなに大きすぎると逆に興奮しないのでは、と余計な心配をしてしまう)。
胸が小さいことが一因かは分からないが、私はなかなか彼氏ができなかった。「恋人ができない」→「自分のスタイルのせいだと自信をなくし、積極的になれない」→「恋人ができない」→…という無限ループだ。
だが、長い思春期を抜け俯瞰で物事を見られるようになり、このコンプレックスは徐々に薄らいだ。まず、胸が大きい女性も、私とは別の苦労をしていることに気づいた。男性からの性的な視線にさらされたり、肩こりがしたり、スポーツで邪魔だったり。胸が大きいから似合う格好/似合わない格好もあれば、小さいから似合う格好/似合わない格好もある。私も失敗を重ね、自分の体形に似合う服を学んでいった。
そして、巨乳至上主義は一部の男性に過ぎないとも分かってきた。そういった人の眼中に入らなくても別に構わない。「胸はもし大きければうれしい」くらいでサイズをさほど重要視しない男性も結構いるのではないだろうか。中には小さい胸を好むマニアもいるだろうが、そういう男性に好かれるのはなんだか癪だ。小さいから選ぶのではなく、選んだパートナーの胸がたまたま小さかった、というのがいい。
妊娠・出産を経ると、コンプレックスはさらに小さくなった。妊娠初期は、こんな頼りない胸で母乳が出るのかと不安に思っていたが、それは杞憂だった。もともとの胸の小ささと母乳の出は関係ないらしい。臨月の頃には、まだ産んでいないのに、マッサージをすると母乳が滲んだ。
出産後は子どもが吸う量が追い付かず、母乳パッドや服がびしょびしょになった。もちろん、母乳が出ないのはダメな胸という訳では全くない。大きくても小さくても、母乳が出ようと出まいと、胸は胸なのだ。ちなみに、授乳中は憧れだったはずの豊胸になったが、大きな胸の自分には違和感しかなかった。
正直、胸が小さいことをアドバンテージとまでは、まだ思えない。その一方で、胸が小さくて不便なこともそんなにない。「胸は大きい方がいい」という価値観に踊らされていた若い頃の自分が、可哀そうで愛しい。アラフォーの今、「まぁ小さくても別にいいか」と、多少のあきらめも含めつつあまり気にしないでいられるくらいの境地には至っている。
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