名前も顔も(仮)。それでも、推しがつないでくれたご縁を大事にしたい

「中学や高校の友だちが、結局今でも仲が良いよ」
卒業式の日、副担任の先生にそう言われた。当時の私は「そういうものなのか」と素直に受け止めた。確かに、今でも連絡を取り合う同級生はいる。けれど、片手で足りる気がする。ほとんどはSNSで近況を眺め、気が向けばハートを押すだけでそこにコミュニケーションはない。
そのSNSですら更新頻度が下がり、ハートを押すことも減った。むしろ「友人を通じて別の友人のことを知っている気になる」程度になっている気がする。
今の私は、あの副担任の先生の話とは違う友人関係の方が濃い。
大人になってから知り合った人たちのほうが、ずっと頻繁に連絡を取るし、会う機会も多い。ここで言う「大人になってからの友だち」とは、私の顔も名前も年齢も住所も知らない人たち。私が好きなアイドルの話をするために作ったSNSのアカウントで出会った「友だち」だ。
学生時代は「ネットで知り合った人と会ってはいけない」と繰り返し言われてきたし、今でもその警告は正しいと思う。画面の向こうには危険も潜んでいる。
それでも「会ってみたい」と思える人には、ライブ会場で会うこともあるし、一緒にチケットを取って隣でライブを楽しむことだってある。ライブがない時期に遊びに出かけたり、飲みに行くことだってある。数は多くないが、中高時代の友人より頻繁に会い、連絡を取り合っている実感がある。
なにより、大人になってからできた「オタク友だち」には特別な心地よさがある。
まず第一に、共通の話題が尽きないこと。
好きなものが同じ、ただそれだけで安心感がある。昔からの友人と話すと、近況や愚痴が中心になることも多い。私も誰かに話を聞いてもらいたい気持ちはある。誰にでも話せる内容ではないことを、久しぶりに会った私に話してくれるのは嬉しい。その一方で久しぶりに会って負の感情に触れると、「楽しかったな」という気持ちと同時に「大丈夫かな」と心配な気持ちも生まれてしまって、ちょっとだけしょっぱい。
一方でオタク友だちとの会話は、私生活に立ち入らない。仕事や家族の話をすることはほとんどなく、ひたすら好きなメンバーの「ここがよかった」「あの瞬間がかっこよかった」で盛り上がる。友人が目を輝かせて語る姿を見ていると、私まで幸せになる。そこには否定のない、純粋に楽しい空間が広がっている。
第二に、SNSで近況を知れること。
楽しそうな投稿にはハートを送り、つらそうな投稿には黙って見守るだけ。必要以上に踏み込まなくても、互いの存在を感じられる距離感が心地よい。だからこそ、更新が途絶えると「どうしているかな」と気になる。連絡手段がない相手だと、ふと切なさを覚えることもあるが。
そして第三に、会う予定をアイドル側が決めてくれること。
「この日どう?」と、こちらから連絡を取る必要はない。ライブの日程が決まれば、その日に行くかどうかだけ。年に一度会えるか会えないかの友人もいるけれど、その約束を作ってくれるのは彼らの存在だと思うと、不思議と心強い。
もちろん、SNSを通じて人と出会うのはリスクもある。アイコンや投稿されている写真が本人とは限らないし、画面の中だけで人を判断するのは危うい。それに、このやり方で友だちができたからといって、誰にでも勧められるものではない。
けれど私は、大人になってから出会った「本当の姿を知らない友人」との関係を、大切にしている。仮の姿同士だからこそ、余計なものを背負わずに笑い合える。そんな友人たちと過ごす時間が、少しでも長く続けばいいなと思う。
今日もアイドルをしてくれて、好きでいさせてくれる彼らが繋いでくれた縁を、これからも私は大事にしたい。
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