「あなたは絶対言葉を仕事にする」

私は幼い頃の記憶があまりないが、「皆と同じことができない」子どもだった。なぜ、どうしてを繰り返し、納得するまで動けなかったからだ。よく幼稚園の先生に怒られ、皆と私は何が違うのかと幼いながら考えていたことも覚えている。

そんな生活でも楽しかった思い出も確かにあった。主任のA先生との思い出だ。A先生は優しかったものの、厳しい先生でもあり、何より芯がある先生だった。園児を子供扱いせず、何よりも頭ごなしに叱るのではなく怒る前に園児の話を聞いてくれるのだ。

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実際に担任が私の行動を誤解して叱っていた場面でも、A先生は私の話を聞いて担任の誤解を解いてくれた。もちろん私がルールを守れなかった時には私も怒られたが、決して声を荒げる事はなく、理性的に諭してくれた。私はその姿も含め先生が好きで、先生にあったら必ずお話ししていたし、お遊びの時間に先生の部屋に行って話したこともあった。

そんな姿に思うところがあったのか、先生は私の最後の登園日に、「あなたは絶対言葉を仕事にする」と言ってくれた。その時はその言葉の意味も理解できていなかった。数年経っても実感は湧かなかったが、ある時ひょんなことで先生に自分の作文を読んでもらえた機会があった。その時にくれた電話でも先生はあの言葉を繰り返してくれた。この時はその言葉を聞いて嬉しくなった。

しばらくしてA先生からは便りが届かなくなった。その頃から私は複雑な友人関係や、学校生活でまた誤解されることが増えた。自分の言葉で他人を傷つけようとしたことは一切なかったが、やはり弁が立つ子どもは大人にも、その大人に従える素直な子どもにも厄介な存在だったのだと思う。

私はまた皆と何が違うのか、悩む事が多くなった。次第に私は理不尽なことでも自分が悪いと謝れば周りが満足して、揉め事が起こらないということに気づいた。それを覚えるにつれて、私は自分の発する言葉に自信を無くし、発言することが怖くなった。

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環境が変わってもその癖はなかなか治らない。しかし、コロナ禍でやることがなくネットサーフィンをしていた時に、様々な生き方をしている人たちがこのサイトやブログで発信をしているのを見つけ、自分もと自分の感じたことを文章にしてみたいと思うようになった。最初は課題で書いた日記だった。それを見て私の書く文章が好きだと言ってくれた当時の先生や私の考え方を面白がってくれた友人や大人に巡り会ったことで少しずつ自信を取り戻し、忘れかけていたA先生の言葉を思い出し、少しずつ信じてみようと思うようになった。

それから数年。言葉で表現することにはまだ抵抗がある。けれど、私はあの頃とは違って昔よりも社会や常識とされるものを身につけたから、もうそろそろ文章を発信してみても良いのかもしれないと思い、今初めてエッセイを書いている。

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私が本当に言葉を仕事にするかどうかはわからない。それでもあの時私に「あなたは言葉を仕事にする」と言ってくれたことは今の私にとっても、今後の私にとっても嬉しかった出来事で、今後進む道に迷った時にも助けになってくれることには変わりないに違いないと思う。