「あなたって、ほんとにかわいくない」
「一人暮らしすればいいのに」
「この年齢でピンクって、やっぱり変じゃないかしら」
「世界一周なんて、馬鹿なことを言って」
「あなたは、誰か好きな人と結婚して、その人の家のお墓に入るの」

これまでに周囲で聞いた言葉たち。これらに対して感じたことや考えたことは、エッセイを書き始めるまでは、自分の中にしまいこむのが常でした。

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言葉は、数秒で流れて消えていってしまいますし、わざわざ言い返してことを荒立てたくもありません。それに、「やっぱり私がおかしいのかな」と考えるふしがあったからです。

でも、自分の心のなかにしまいこまれ、日記に綴られていたモヤモヤたちは、やがてエッセイという形の作品へと変わり、読んだ人からは共感や応援の声が届くようになりました。少しずつ、私も周囲から言われた言葉を冷静に分析できるようになりました。

「私がおかしいのかな」と自分を否定するのでも、「相手が間違っている」と相手を否定するのでもなく、自分の気持ちを大切にできるようになったのです。

自分が考えていることや感じていることに蓋をするのは、簡単です。黙っていればその場はおさまりますし、自分の心の声に従って行動しなかったからといって、死ぬわけでもありません。親しい人からの言葉は時に深く刺さりますし、今ある繋がりや安定を手放す怖さとは、向き合わない方がずっと楽です。

でも、自分の心の声を封じ込めることは、実は、私にとってだけでなく、周りの人にとってもマイナスのことだと気がつきました。自分の心の声を、なかったことにすること。それは、1つの意見を社会からも抹消することに他ならないからです。

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自分ひとりの行動が、そんな壮大なことに繋がるだなんて、誰も思いはしないでしょう。でも、社会の空気を作り出しているのは、間違いなく、私たち一人ひとりです。

かわいい、かわいくないとジャッジされる空気を作るのは、社会人になったら一人暮らしをするべきだという空気を作るのは、ある程度の年齢になったら、ピンク色は避けるべきだという空気を作るのは、社会ではありません。結婚したら夫の姓を名乗るのが普通だという空気を作るのも、世界一周は学生がやるものだという空気を作るのも、社会ではありません。社会を構成する私たちなのです。

私は臆病な人間なので、誰かに何かを言われてすぐに反論できるような強さはありません。でも、自分が感じたことをそのままなかったことにするほど私は弱くはない。自分の気持ちと向き合い、言語化する作業を積み重ねるうちに、自分がもつ強さへの信頼感も醸成されていきました。

その自信は、私の実際の行動にも反映されるようにもなりました。自分の心の声に従って会社を辞めたり、恋人と別れたり、世界一周に行くことを決めたり……。それに対する周囲の声は、さまざまです。

「この歳で恋愛経験がそれしかないなんて、おかしいよ」
「今から世界一周なんて、人生逆行してるね」
「会社を辞めてまでやりたいことなんて、なくない?」

以前の私なら、「そうだよね……」と、周りの声を聞いていたような気がします。

でも、それだと私の心の声は無視され、社会は変わらない。ずっと、息苦しいままでしょう。本当の自分を生きて、それを社会に示して、新しい空気を作っていかなければ、と私は思います。"本当の私"を示すツールとして、私はエッセイのもつ力を信じています。

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そういえば、ずっと心にひっかかっていたこと。やりたかったこと、本当は言いたかったこと……。それらを言葉にすること、行動を起こすこと、その経験を言語化すること……。エッセイを書くことは、小さな取り組みかもしれません。

それでも、その行動には、文章には意味があると思います。その"声"が、やがて社会の空気になっていくから。

いつか、社会の空気が誰にとっても心地いいものになるように、私は自分の心に従い続けます。そして、その過程を発信し続け、社会の空気を変えていくことをここに誓います。