言葉と呪文は紙一重だ。

呪文を刻印された小学一年生の冬、あの日も担任を交えてみんなで楽しく遊んでいた。

その頃、私はロングのツインテールで、ピンク色のお洋服を沢山持っていた。

"女の子"の自分が好きだったのだ。

ところがその日、担任が放った一言で私は毎日大事に梳かしていた長い髪も、スカートも手放すことになる。

鬼ごっこをしていると

「ゆう太くん!」

と担任は私の名前に『太』をつけて呼んできた。

何故そんなことを言ったのか、どこが面白いのか、私は今でもわからないけれど
とにかく担任は私に男の子みたいなあだ名をつけて、
みんなはツボにハマったらしく口々に「ゆう太くん!」と私を呼んだ。

その日を境に私のあだ名はゆう太くんになった。

そして私は、いや、僕は男にならないといけないと思った。

馬鹿げているでしょ?

私だって今考えたら馬鹿げていると思う。

でも、何故か、小学一年生の私にとってそのあだ名は単なる言葉ではなく、呪文だった。

女でいてはいけないと言われている気がした。

それから私は一人称を僕に変え、
自慢のロングヘアーをショートヘアーにし、
ズボンしか履かなくなった。

家族にも「僕は男になるんだ」と宣言していた。

初めて女でいることを許された気がした。

私立の小学校を卒業して公立の中学校に入ると、
当たり前にちゃん付けされて、
スカートの制服しか選択肢がなかったため私に対する男の子のイメージは消え去った。

カルチャーショックだった。

初めて女でいることを許された気がした。

中学生、高校生はそのまま生活のほとんどを制服で過ごし、
高校に入るとメイクも覚え、彼氏もできた。

そして大学生になり、私服を着る機会が多くなると、小学生時代に抑え込んでいた"女の子"への憧れ、欲望が爆発した。

ピンクと白の組み合わせ、その他パステルカラー、フリル、レース、スカート、ワンピース、リボン、ふわふわのカーディガン 、ヒール……に取り憑かれ、

家では天蓋ベット(お姫様ベットとも呼ばれるカーテンがついたベット)をはじめとするプリンセス風の家具を揃え、
『ピーターパン』に出てくるウェンディが着ているワンピースのような部屋着で過ごした。

かつて心の底で望んでいた日々を取り戻すように、"女の子"らしさに異様に固執したのだ。

私の中のゆう太くんはとっくに死んで、清々していた。

けれどかつて生きていたゆう太くんが今の私をつくりあげている、その事実からは逃れられない。

成人の日。渦巻く色んなドス黒い感情を抑えた

そして成人式を迎え、小学校の同窓会に行った。

「ゆう太くん久しぶり!」

ーー あ、そっか。この人たち私のこと今でもゆう太くんだと思ってるんだ。

久しぶりの感覚だった。

その後、思い出ビデオが上映された。

そこに映った少年の風貌をした私はビデオに向かってこう叫んでいた。

「僕は男になるんだー!」

先生方や、保護者、元学友からどっと笑いが起きた。

何が面白いのかわからない。

何故、この部分を思い出ビデオに使おうと思ったのかもわからない。

私は恥ずかしさでいっぱいで、こんなことなら来なきゃよかったと後悔した。

とにかく成人の日は悪夢が呼び起こされてばかりだった。

離れて暮らす祖母に成人の報告をするために電話をかけたら

「一時期は『男になる!』いうて聞かんけん、おばあちゃん内心ひやひやしちょった。振袖姿の写真見て安心したわ」

と、声を弾ませていた。

「今でも男になりたいって言ったらどうする?」と意地悪言いたい衝動にも駆られたが、渦巻く色んなドス黒い感情を抑えて返した。

「懐かしいね」

もし「私ですけど」と返していたらどんな顔をしたかな

この話を大学のジェンダーやセクシャリティーについて学ぶ講義のリアクションペーパーに書いたことがある。

匿名で読み上げられたとき、なんとなく笑いが起きた。

中でもそのとき、ちょっと気になっていた人が人一倍声を押し殺して笑っていたのを覚えている。

講義の後、教員志望の例の気になっていた彼に話しかけられ雑談していたら「あのリアクションペーパーうけるよね。あれ誰なんだろ」と言われた。

もし「私ですけど」と返していたらどんな顔をしたかな。

やっぱり私って変なのかな。あんな冗談を真に受けるなんて。

ここでも笑われてしまうかな。

やっぱり私って変なのかな。

あんな冗談を真に受けるなんて。

あだ名をつけた担任に悪意はなかっただろうし、
自分があだ名をつけたこと自体忘れて、
今でも先生しているんだろうな。

〇〇菌とかそういうあからさまに酷いあだ名をつけられたわけでもないのに、
勝手に呪文に変換して苦しんでる。

講義中にふんわり笑いの的になったのだってそうだ。

みんなもっと苦しんでる。

身体は男だけど心は女だったり、その逆だったりでずっと理不尽に我慢してきた人、
男とも女とも違うアイデンティティを理解されずにいる人、
同性が恋愛対象というだけで結婚さえできない現状にいる人……

そういうトピックを扱い、当事者も多い講義室で
現在、身体も心も女でまあまあ納得しながら生きていられる私が
男の子みたいなあだ名をつけられたそれだけで雁字搦めになっていたガキの頃の話、
そりゃ教授も笑いたくなるよね。

こいつバカだなーって。

あだ名をどう考えるか、私の経験が誰かの判断材料の足しになれば

ついさっき、いじめ抑制のため小学校でのあだ名禁止というニュースを見て、思い出したことを綴ってみた。

私にも、
大人になった今でも愛おしく思えるあだ名もあれば、
身体的な特徴を突くようなあだ名もあったし、
ゆう太くんのように周りはどうも思っていなくても望まなかったあだ名もあった。

なんでもかんでも禁止にすれば子どもはいい子になるわけじゃない。

世論も、もちろん私の中でも賛否両論があり、あだ名禁止が広まるかはわからない。

ただ私が先生なら絶対に生徒にあだ名はつけない。

先生から生徒にはとてもとても大きな力がかかっている。

あとは一見、あだ名を気にしていないように見えても、酷いあだ名にも思えなくても、
「最近〇〇と呼ばれてるけど嫌じゃない?」
と声をかける。

私は先生にそう聞かれたとしても「全然ヘーキ!」と笑ってみせられる子どもだったし、実際そういう子どもが多いだろう。

だからあまり意味はないかもしれないけれど、決して無意味ではないと思うのだ。

あだ名をどう考えるか、私の経験が誰かの判断材料の足しになれば地縛霊になったゆう太くんもきっと成仏してくれる。

ナームー