「私、かわいい」
朝顔を洗って、鏡を見て思う。

最近は、大変な案件が四方八方元気よくぶつかってくるもんだから、私はもうよいしょーよいしょーと絶え間なくそれらをちぎっては投げ、たまには手なずけ、そして殴られていた。

28歳、少し仕事の責任が重くなってきたこの頃。

根拠はないけれど、昔から何故か自分のことを「かわいい」とよく思う

半年程前から始まった在宅勤務は、性に合わない。おでこのブツブツが、また増えた。「朝の時間を買ってるんよ」と付けていたマツエクも1本もない。いつもストックしてたカラコンの箱は、化石になりかけてる。そういえば、ずっとのってない体重計は、私の予想した数字を見せてくれるんか。いや、きびしい。下がった美容意欲を持ち出すときりがない。本当、自粛であっちゅうまに私の容姿は年を取った気がする。

その辺のことが、両手ぶんぶんふりながら頭の中をかけまわってる。わかった、わかった。鏡の中にいるのは指原莉乃でも平手友梨奈でもない。けれど、それでも結構平気で自然に思う。
「うん、私かわいい」

昔から、何故か自分のことをかわいいとよく思う。いや別に現実は自覚している。
たこ焼きみたいにぷっくりしたほっぺ、奥二重のまぶた、ちょっと低い鼻。真ん丸の顔。ふむ、なかなかどうして世間一般の美人には分類されはしないけど、なぜか私は自分の容姿がすきだった。

まあ、もっと脚が長ければ、顔がしゅっとしてればと思うことはあったけど、ほかほかの晩御飯を前にすると「まあいっか、いっぱいたべる私もかわいい」とかすぐに思う。
誰に言われるでもなく、根拠もなく、そうやってなんでか自分かわいいとよく思っていた。

お母さんは「かわいい」と自信満々に言っていたから、疑わなかった

母は、よく「お母さんかわいいから」「お母さんからだ弱いの、美人薄命だから」「ファンクラブがあったのよ…」と言う。この辺は、ぜんぶ耳タコ。「うふふ」と笑うアラフィフの母は、そりゃあもうよく言っていた「お母さんかわいい」と。

そして、父も「お母さんは美人さんだから、競争だったんだよ」「お父さんが男前だったから選ばれたんだけどね」とその後いつも胸を張りながら言う(多分それが本当に伝えたいことだと娘は知ってる)。

「そうね、お母さんかわいいね」そう言って、私もこくこくうなずく。そういや、疑ったこともない。そんな自信満々に言われるとな。そうねと思うものね。

だから、お母さんは美人でかわいいのだというのが、なんとなく我が家の、そして私の常識だった。
弟は母が「かわいい」と言っても否定をしないし、お父さんは数年同じパーカーにズボンにスニーカーの出で立ちの母を見て、今日も嬉しそうにお散歩に誘ったりする。母は、かわいい。

昔、母が人から「かわいい」と言われたのは、確かにその容姿もあってかもしれない。モノクロの写真には、線の細い儚げな少女が写っていた。年を重ねた今、その容姿の美しさはその頃とは違うのかもしれないけれど「お母さんかわいいの」と言われたら、私は間髪いれず「そうね」と言うし、多分数十年後もそう思う。

私の母は、何かと比較して「自分」を下げる言葉を絶対に言わない

母は眉間にシワがよっていて、黙っていると少し険しい顔に見える。「美人は目力があるのよ」と母は言っていた。昔は牛乳瓶の蓋みたいなメガネをしていた。「メガネが大きいと小顔に見えちゃうわ」と言い、20年くらいそれを使っていた。あと、よくヤンキー座りの状態で新聞を読んでいる。私が「その姿勢つらい、むり」と言うと「美人は鍛え方がちがうのよ!」と誇られる(美人関係あるのか)。

母は、化粧をほとんどしない。ある母の日にイヴ・サンローラン・ボーテの母の日セットをプレゼントした。それまで母の持っている化粧品は、母がOL時代に先輩からもらった口紅だけだった。よころんでくれたが、「化粧をあんまりしないから肌が強いの!」とだいたい元気よく素っぴんで出て行く。

母は、滅多に新しい洋服を買わない。買っても1枚3,000円以内でおさめてくる。「何着てももかわいいから!」と言って、平気で数年前からもってるパーカーを着る。

母は、近所でも一番安い美容室で髪を切っている。トリートメントはサービスならする様子。「ワカメ食べてるから髪もきれい!」といつも櫛を通しながらニコニコしている。特に何にもなくとも、何の根拠もなくとも唐突に「お母さんかわいいから!」と言ってスキップしている。母から、何かと比較して自分を下げる言葉を聞いたことがない。

私は、そういえば母から「かわいい」と言ってもらったこともない。でも、私は自分のことをかわいいと思っている。だって私は、誰と比較しなくても、今の自分に「かわいい」と言うことが、かわいいことを知っている。それが恥ずかしいことでも、滑稽なことでもなく、愛らしい考えだということを知っている。私にとって、かわいいってのは母が自然に教えたそういうことだ。

さて、今日はこの間の報告で、ボコボコにされた企画書のシワを伸ばしてやらねばならぬ。もう少し文献を調べて背景を足すか。時間間に合うかな。

嫌いではないがよく胃が痛い仕事の前、朝の洗顔。そして鏡。
特にどこに着目するでもなくつぶやく。
「うん、私今日もかわいい」