大学4年。卒業間近。内定はなし。
卒論も締め切りに間に合うか正直微妙。

「ちゃんとできる人」だった私は「みんなみたいに」ができなくなった。

勉強で他の人との優劣が分かり出すようになってから、塾に行かなくても学年で10位以内に入る成績だったし、スポーツでもちょっとくらいは自慢できるような結果を残してきた。そんな青春時代を送ったせいか、自分は「ちゃんとできる人」だと思い込んできた気がする。

ところがどっこい、やるべきことを周囲が提示してくれていた高校時代が終わって、誰にも指図されず自分でやりたいことを決められるようになった。
そんな頃からか、私は「みんなみたいに」ができなくなった。

おしゃれして化粧して大学に行ったり、毎日同じ友達たちとお昼食べたり、毎週サークルに顔を出したり。

私は「みんなみたいに」ができない不良品なのかもしれない

今となっては就活もうまく行かずに12月を迎えてるし、そんな状況になっても「妥協して企業に入るくらいだったら、とことん苦しんでも自分が納得する道に進まなきゃ!」なんて思ってる。その上、卒論もちゃんと進んでないのにこんな文章を綴ったりしてる。

ほんとにバカ。

「自分は特別だ」とか「敷かれたレールの上を真っ直ぐに走るなんてかっこ悪い」って思ってたけど、よくよく考えたら、ただ単に私は真っ直ぐに走ることが苦手で、ちゃんと走れる人を見て卑屈になってるただの怠け者なんだと思う。電車だったらかなりの不良品よね。(笑)

体裁なんてくそ喰らえって生きていく強さはまだない

昔から「みんなと一緒がいい」って思いつつも「でも一緒だとなんかムカつく」っていう感情を心ののどこかで持ち続けてきた。
人とは違う自分でいたかったけど、いざ変わってるよねって言われるとどうしようもなく不安になるし、私は変わってるんだって認めてしまうと、そんな個性的な人間じゃないじゃんって思われることが怖かった。

周りの人からどう思われるかとか、社会的な立場とか、なんとなくこう生きるのが普通でしょ?っていう不文律が気付かないうちに自分を縛り付けることってきっとたくさんある。体裁なんてそんなのくそ喰らえって胸を張って生きていく強さはまだないんです。でもそういった価値観のせいで自分の願望が消えていってしまうのはとても嫌だとも思う。

敷かれたレールをちゃんと走ることができる人が素直なら私はあまのじゃくだし、それが大人なら私はまだまだ子供なんだ。もうなんとでも呼べばいいさ。

みんなが当たり前だと思ってる道から逸れてしまうのってめっちゃくちゃ不安なこと。でもその不安から逃げるためだけに自分の願望をなかったことにはしたくない。今は自分と周りとのズレを感じてもいいから、自分の中の葛藤と闘ってふらふらしてしまったとしても、いつか真っ直ぐに立てる人間になれればいいかなって思う。

抱えた不安と共に、少しずつでも進んでいきたい

正直もうどうしたらいいのかわからなくなって、
自分の気持ちを言葉にしようとする度に泣いちゃう時期もあった。
寝る時に目を閉じると、私なんか誰も認めてくれないんじゃないかって不安が押し寄せて眠れないこともある。

でも今は「卒論だって1時間に2行でも、とにかく書こうと頑張っとけば2万字くらいにはなるでしょ?」ってちょっとだけ前向きになれてる。

まがりなりにでも、ちょっとずつでも進むしかないんだと思う。
っていうかそう信じるしかないのよね、きっと。
知らんけど。
一生ふらふらしたままなんじゃないかっていう怖さでいっぱいよ。

来年も就活を続けなきゃいけないかもしれないし、他の人からみたら私はきっとダメな奴。けどきっとその評価は私が希望を叶えた瞬間にすぐにひっくり返ってしまうようなフットワークの軽いもの。そんなにすぐ変わってしまうものに囚われて苦しむんだったら、気にしないで自分の感情に素直になる方がよっぽどまし。

今は「どうしようもないわたし」のままでいい。いつか自分がした選択を誇れる日が来るまで、全力で闘いたい。