幸せ。だって、働いたお金で好きなものが買えるから。
幸せ。だって、同僚や上司から信頼を得ながら働けているから。
幸せ。だって、大切にしたい友達や家族がいるから。
幸せ。だって、それなりに健康だから。

幸せ。なのに、幸せじゃない、のは、なぜ?

これまでに、7回の結婚式に参列して綺麗な友達の姿を見てきた。二次会で別の友だちから「結婚して名字変わったんだ」と報告を受けたこともあった。仕事の同期が大学時代の彼氏と結婚して、異動前に妊娠したいんだよねって聞いて、その通り産休に入って赤ちゃんを産んだ。
その時々で「揺れ」があって、その度につらくなって、少し優しくなったり強くなったりして、そのうちにまた凪が来て、それなりに安定した29歳になった。
私は今の私を受け入れて生きていて、揺れる必要はないんだよって思っている。思っていたんだけど、やっぱり、今また揺れている。

後輩の妊娠に「揺れた」。安定して見える私の生活自体がぐらぐらする

次は、職場の後輩の妊娠を身近で見守ること。私の1年後に入った後輩から結婚報告を受けた時は、お祝い係を受け持つことで自分の嫌な気持ちを凪に変えた。でも、数カ月後に彼女から「妊娠したかもしれない。来週に有給をとって検査に行って来るんです」と打ち明けられた時、私は、すごく、「揺れた」。
彼女はきっと私を信頼していて、頼りにしていて、嫌味な人間だと思っていなくて、味方だと思っている。だけど私は戸惑って、「おめでとう」と言ったと思うけど、どうしようもなく苦しくなった。
私にないものを持っている、これから育てていく彼女に対して。彼女が持っているものを持っていない私に対して。そして、「持つ」ことを本当は望んでいる私に対して。

つらいつわりの時期、私は彼女に温かい声かけができたかな。意識するあまり、しつこくなっていなかったかな。隣の席でお腹が大きくなる彼女に、私は平常心でいられるかな。

たまに苦しいなあ。私の生活は安定しているんだけど、周りの変化が波のように押し寄せて、私の生活に揺れをつくる。実は安定して見える私の生活自体が、ぐらぐらしているのかもしれない。
「持っている人」が持っているがゆえに悩んだり苦しさが出ることも理解できる。「持っている」のも「持っていない」のも、同じではないけど、それぞれ色々あることも分かる。

揺れても、また凪に変えて。私はちゃんと幸せを感じられる

そして、この「揺れ」も、また凪にできることを私は知っている。私は、いつも通りきっちり仕事をする。彼女が寒い所に行かないように、重いものを持たないように気を付けていることを、ちゃんと理解してフォローする。大丈夫。私はそういう人間だから。
そりゃあたまには、運転中に涙がぽろぽろこぼれたり、いつもは笑い上戸になるワインで涙が落ちて止まらなくなったりするんだけど、しっかりと地に足をつけて、毎日を過ごしていける。

働いたお金で、財布やメイク道具を買おう。
ちゃんと働いて、後輩と他愛のない話をして笑い合おう。
家族を大切にしよう。産休中の友達と連絡を取ろう。
自分の体をケアしてあげよう。

私は、ちゃんと幸せを感じられる。