世の中の、特にいわゆる「年頃」(私はこの表現が好きではない。年頃って何だよ、と思う)の女性にとって結婚は、特別なもののようだ。いや、それよりももっと若い、小学生、中学生の女の子にとっても特別なもののようだ。
けれど24歳・女性、いわゆる「年頃」の私にとってそれは、全然特別なものじゃない。物心ついた頃から今まで、私の中で結婚が特別な、夢のあるものに思えたことは、一度もなかった。
父の浮気で両親が離婚。結婚によって傷ついた家族
私の両親は、私が5歳の頃に離婚した。そのときから私は、父親のことを引きずっていた。父親がいないことが寂しくて、会いたくて、眠れない夜はよく泣いていた。それは小学校高学年がピークで、高校生の頃まで続いた。これを書いている今も、このことを考えると胸が痛い。
両親の離婚の原因は、父の浮気だった。それを私が知ったのは、小学3年生だった。
よくある、ことではある。よくある、ことではあるけれど、よくあるからと言って許されるわけではないし、それがよくあることになっている現状にはとても問題がある。
兎にも角にも私は寂しかった。母は悲しんだと思うし、経済的なことで途方に暮れているように見えた。
結婚というものが、世の中では特別で夢のあるものとして扱われているらしいそれが、私たち「家族」を傷つけたと思った。
わかっている。父親が「家族」の関係を壊したということは、嫌なくらいわかっているけれど、それにしっかりと向き合ったのは、今が初めてだった。小学生から今まで、私は「家族」が壊れた原因に、目をつぶっていた。
私はこの不出来な「家族」が、どうしようもなく、好きだったのだ。
私だけ「結婚もしたくないし、子どももいらない」と言っていた
中学生になると、女子の会話の中に「何歳で結婚したい?」とか、「子どもは何人欲しい?」とか、具体的な質問が表れた。
私以外の友達はみんな、「25歳で結婚したい」とか、「男の子と女の子、1人ずつがいいな」とか、結婚して子どもを産むことは当たり前という前提のもとで答えていた。
私だけが、「結婚もしたくないし、子どももいらない」と言っていた。
私は友人グループの中で、ずっと「変わっているキャラ(今でもなぜこうなったのかは不明だけれど、私は過ごしやすかった)」でいたのもあって、「そうなんだぁー。変わってるね」といった感じで受け入れられた。
周りの友人がいくら結婚したがっても、子どもを可愛いと感じても、私にそれは移らなかった。
私にとって結婚は制度。でも夫のことは愛している
幼くて果敢な中学生時代から約10年後、私は結婚した。
24歳である。
私は結婚を、ただの制度として利用した。
彼のことは好きだし一緒にいたいと思っていた。
けれど私の中では、それが結婚には結びつかなかった。憧れがないからである。
しかし結婚して扶養に入ると、何かと金銭的に優遇されるという、結婚という制度としてのメリットがあった。
学生のときに体を壊し、体が弱くなった私にはそれは有り難かった。
だからそれを利用することにした。それだけのことである。
こんなことを書くと、夫に愛がないのかと思われるかもしれないが、そんなことはもちろんない。
私にとって結婚は、制度。でも、夫と暮らす毎日は、とても楽しい。