24歳になってもやめられないモノがある、それは「ごっこ遊び」だ。
この文章を読み始めてくれた貴方が「いい大人が友達に『おままごとしよ!』『セーラームーンごっこしよ!』『お菓子屋さんごっこしよ!』と誘い掛けているのか……?やばい女じゃん……」と困惑して早速記事を閉じようとしているかもしれないが、どうか早まらないで。私が指し示す「ごっこ遊び」は、お子様のそれとは少しだけ違う。
大人になった今も、何かになりきる「ごっこ遊び」が華金の楽しみ方
一般的に「ごっこ遊び」とは、何かになりきる子どもの遊びのひとつを示す。
現実世界の親や兄弟を模倣して友だちと家族になってみたり、遊具の頂でエアマイクを握りしめてアイドルさながらに熱唱してみたり、テレビで見る可愛いキャラやかっこいいレンジャーになりきって悪党を倒してみたり、その辺に落ちてる木の棒と泥団子を用いてパティスリーを開店してみたり。多くの人は幼少期にこうした遊びをした経験があるのではないだろうか。
そして私は大人になった今も、何かになりきることに興じている。
コロナ過以前の金曜の夜。私が仕事を終える19時半ごろになると、職場がある銀座は窮屈な平日から解放された紳士淑女で溢れかえていった。私は下戸かつ単独行動を好む人間なので、上司のお誘いがない限り華金らしい華金を過ごすことはなかった。そんな私にも私的華金の楽しみ方があり、それが「ごっこ遊び」なのだ。
自作プレイリスト「自分の機嫌は自分で取る」を流せばたちまち主人公
iPhoneに有線イヤホンを挿し、Apple Musicを開く。自作のプレイリスト「自分の機嫌は自分で取る」を再生させながら、銀座三越や和光本館、GINZA SIX、松屋銀座が立ち並ぶ通りを闊歩する。
すると一瞬で、私は世界の主人公になった気分になるのだ。イヤホンから脳内に流れ込むお気に入りの音楽が、映画やドラマの大事なワンシーンで流れるBGMとなり、私は銀座を舞台に誰もが憧れる女性を演じていると錯覚して上機嫌になる。
5日間取引先に詰められた自分ではなく、映画館のスクリーンやテレビ画面の中で輝く憧れる女性になりきる感覚は、私にとってどんなお酒よりもアルコール度数が高く、簡単に自分に酔える。酔いすぎてBGMとして流れる歌を口ずさんでしまいそうになる。実際のところ、職場近辺は知り合いに見つかったら気まずいので自重しているが、自宅近辺なら外でも声を出して歌ってしまう。「あそこのお姉さん、大きな声でお歌うたってるね!」「しっ!見ちゃだめよ!」という母子のやり取りが聞こえたら、やめようと思っているが。
別の輝く自分を生み、心の均衡を保つ遊びが大人もあっていいと思う
休日は、例のプレイリストをスピーカーで家中に流す。平日に溜めていた洗濯、普段はやる気が起きない料理、どこに出かけるでもなく自分のために施す自分が好きなメイク。
それらの他愛もない生活のワンシーンでさえ、私が主人公の映画を撮影している気分で演じる。90年代のアメリカンホームドラマのような大袈裟な動作を取り入れるのでかなり非効率ではあるが、気分は女優なので気分が良い。さらに時間のある休日には、好きなバンドやアイドルの推しになりきって、推しのパートを歌って踊る。推しの歌い方や踊り方のクセを把握することで、推しを己の心身に降臨させている。この瞬間は、私が推し自身になりきるのだ。
ごっこ遊びは好きな何かになりきる子どもの遊びの一つで、大人がやるものではないと思っていた。だが自分が大人になると、大人こそ何かになりきらないと正気を保っていられないなと感じることが多い。自分が思い描いた理想の大人でいられない瞬間が、誰しもあるのではないだろうか。そんな望まぬ姿の自分を受け入れつつも、別の輝く自分を生み出して心の均衡を保つ。そんな「大人のごっこ遊び」があっても、いいと思う。