自分がやっていて楽しいことが、一番いいよ」
就活。目下、私の最重要課題。「何になればいいのかなあ」とこぼした私に母が言ったその言葉が、私を変えたひとことだ。一見単純な台詞だけれど、私はそれで、自分で自分を縛りつけていた縄を、ゆるめることができたのだ。

私の両親は、特に教育熱心というわけではないし、自分の理想や後悔を子どもに押し付けるような人でもない、健全な両親だ。そんななか私は、(自分ではまったく記憶になく、後から母に聞いた話だが)自分で中学受験をすることを選び、優秀とされる中高一貫校に入ってしまった。
その6年間で、両親の健全さを思い知ることになった。周りは教育熱心な親が多く、行き過ぎた干渉も珍しくなかった。「医学部に行きなさい」とか、「早慶以上じゃないと」とか。私の両親は、やはり私の進路について何も言わなかった。しかし私はまたしても、自分から難関大学を目指した。これに関してはさすがに覚えているが、周りに合わせていたら自然にそうなったというのが大きな理由だ。
1年浪人までして、志望校に合格した。就職を見据え、経済学部を選んだ。そしてまた周りに流されるうちに、高収入な外資系の銀行やコンサルティング会社を目指すのが普通、という考えになっていた。あるいは、そうした業界ではないにしても、せっかくこの大学に入ったのだから、年収1千万円以上を目指すべきなのだと。
それが縄となって私を縛った。
けれど誰に言われたわけでもない、自分でここまで来たのだから、縛ったのは私に他ならない。

進学とは違って流れに身を任せるわけにはいかない、就活

中学や高校、大学は、3年や4年で終わる世界だ。しかし就活といったらそうはいかない。転職をするにしても、それまでのキャリアというのはチェックされる部分だから、1社目からきちんと選ばなければならない。そしてこれが、この先ずっと続いていく。
そうなると、さすがに私も、ただ流れに身を任せるわけにはいかなかった。
考えるまでもなく、銀行やコンサルティング会社で働きたいという気持ちは、私の中にはあまりなかった。私は、テレビ局に入ってドラマ制作に携わったり、出版社に入って本の出版に携わったり、とにかくクリエイティブな仕事がしたい。
しかしそうした会社は、往々にして、銀行やコンサルティング会社ほどの収入は見込めないし、大学で学んだ経済はほとんどいきることはないだろう。学歴よりも、感性や経験がものを言うだろう。ならなんのためにこの大学に入ったのか、という気持ちについなってしまう。
経歴をいかした仕事か、自分の好きなことを重視した仕事か。揺れ動く私に母が言ったのが、「自分がやっていて楽しいことが、一番いいよ」という言葉だった。

母のひとことで理解した、健全な親の愛

私は自分で自分を縛ってきたにもかかわらず、途中から、「両親もきっとこうなってほしいと思っているに違いない」と思い込んでいた。きっといい大学に入ってほしいに違いない。きっとたくさん稼いだら喜んでくれる。そう思っていた。
そのせいで私が自分に合わない仕事を選ぶことなんて、母はちっとも望んでいなかったのだと、そのときようやくわかったのだ。娘には自分のやりたいように生きてほしい、自分の人生を生きてほしいという親の愛を、ようやく理解したのだ。

母はまた、「自分が生活できるだけの収入があればいいんだよ」とも言った。そうした言葉のおかげで私は、収入はあまり気にせず、自分の興味にしたがって仕事を選ぼうと思えるようになった。
それでも、同じ職種ならより大手を、より収入の高い方を目指したい。健全な愛情で私を育ててくれた両親に、たくさん孝行できる余裕を得るために。