私は今、23歳。 母は、この年齢で結婚したらしい。高校生の頃から8年付き合った父と。

口出しはしない。なんなら私も、母に同調するように父を嫌っていった

自分が結婚するということを想像してみる。私には恋人がいない。直前の彼氏とも、3年半で喧嘩別れした。ギャンブルで作った借金を隠されていたから。しばらく恋愛はいいかな、なんて思う。

そして両親を見てみる。母は、もう10年、同じ人と不倫関係を続けている。中学生の頃から知っている。会ったことも、一緒に出かけたこともある。思春期の自分が、よくその事実を受け入れられたものだと感心する。
多分、自分にとって母親が、母親である前にひとりの女であり、人間であるということをなんとなく言い聞かせてきた気がする。いつしかそれが当たり前になって、もう口出しをするつもりもないし、なんなら私も、母に同調するように父を嫌っていった。

体を資本にしていた母親の苦労を想うと、やりきれなくなった

母と不倫相手の出会いはいわゆる風俗店。母はいつも父の稼ぎが悪いことに愚痴を零していたし、当時の自分は気づかなかったけれど、文字通り「体を資本に」して働いていたのだ。父は家事もしないし、飼っている犬の世話すらしなかった。ろくに風呂にも入らずに寝て、たまの会話で私の進路に口出しをする。大人になって、お金の大切さに気づくと、父にも多少の有り難さを感じるものの、一方で母親の苦労を想うとやりきれなくなった。初めは互いを好いて選んだ結婚。それがいつからか、お金を中心にこじれていったのだと…。

母は父と別れない。顔も見たくないと言いながら、別れない

それから私は、両親を鑑にして考える。
女にとって結婚とは、自分の人生を注ぐ器を選ぶことなのだと。当たり前だが人生は有限なのだ。明日生きていられるのかも、本当はわからない。そんな「自分」を、その人のために使いたいと思えるかどうかは、今の私にとってとても大切な基準になった。母はずっと父という割れた器に人生を注いできた。母の努力はいつ報われるのか。不倫がバレたら母が責められるのだろうか。女として生まれた私は、母に同情せずにいられない。

男は物理的な力を持っている。それを誇る。女を見下す。女を利用する。人生を注がせる。そして己を満たすのだ。そうとしか見えなかった。結婚は人生の墓場だ、なんて言葉を使う男を許さない。

そして母は父と別れない。顔も見たくないと言いながら、別れない。自分には理解できない安心が、そこに確かにあるのだろう。