思えば “なんとなく”で生きてきた人生だった。

幼い時は多分自分に対して素直に生きていたと思う。
変わってしまったきっかけはおそらく小学校高学年。
多感な時期の女子は、「女のいざこざ」というものを早くも体験するのではなかろうか。

個性を出せば嫌われる。嫌われたら面倒臭いことが起こると学んだ


「あの子は男子と仲良くしすぎだからムカつく」
「あの子自己中じゃない?無視しようよ」
なんて言葉に毎日踊らされていた。

いつ自分が標的になるかわからない。
違う子が標的の時には一緒に悪口を言ってご機嫌をとる。
一度仲間外れにされてその心細さを味わうと、リーダー格の子に嫌われないように過ごすことが第一優先事項になってしまうのだ。

それからというものの、何を行うにも、何を発言するにも、常に他者の目を気にして生きてきた。嫌われたら面倒臭いことが起こるということを学んでしまったからだ。
個性を出せば嫌われる。
それが自分の心にすっかり根付いてしまったのだ。

それは今でも完全になくなったわけではない。
中学、高校、大学……就職してもなお、その考えに至ってしまうことはある。

楽しい大学生活に感じていた物足りなさには気づかないフリをした

自分が「本当に思っていること」は、他人に受け入れてもらえないだろうし、それを露わにして孤独になるのは怖くて耐えられない。多くの人はこの気持ちがなんとなくわかるのではないだろうか。だからこそ、何も気にせず自由に発言してる人をうらやましく思い、その結果妬み、疎外してしまうのではないだろうか。

そうして、人の目気にして生きるマンは自我がないまま育っていった。
大学はそこそこ有名な大学を選び、就職先もそこそこ有名で大きな会社に入った。

大学生活はそこそこに楽しんでいたと思う。4年もあったはずなのにあっという間に感じたのだから。
授業の空きコマに友達とランチに行ったり、サークルの人たちと飲み会をしたり……。
どこにでもいる普通の大学生と変わらない日々を過ごしていた。
けれどどこかで、物足りなさを感じていたように思うのだ。
もちろんその感情には一切気づかないフリをしたのだけど。

時は過ぎて大学4年生になり、避けては通れない「就職活動」をした。
そこで改めて認識したことは、自分が本当に何もやりたいことがない学生だということだ。
志望動機を書こうにも、その会社でやりたいことがあるわけでもなんでもないので、なかなか筆が進まない。自分がここまでつまらない人間になっていたことに少し落胆したものだ。
結局ネットで例文を検索し、少しアレンジしたものを使い回し、就職活動を終えた。

「やりたくないことをやって生きる人生ってなんなんだろう」

こうして2019年の4月に新卒の社員として働き始めたわけだが、全く晴々しい気持ちというものを感じない。入社直後も現在も。
特にやりたいことがあって入ったわけではないので、「やりがい」という言葉の意味がイマイチわからないままだ。
そして、そうやってテキトーに生きてきたツケはいつか回ってくるもので、今まさにその壁に直面している。
上下関係の厳しい業界、大量に資料を捨てる日々、無駄にヨイショをしないといけない飲み会。
この世に必要ないものの集大成という感じがしてならない。

「やりたくないことをやって生きる人生ってなんなんだろう」
自分で初めて自分の人生に疑問を持った。
初めて会社や親に反発をした。
今まで反発してこなかったから反発の仕方がよくわからない。

どうしてもっと自分の人生について真剣に向き合ってこなかったんだろう。
どうして自分の思いを無視してきたんだろう。

今まで蔑ろにしてきてごめんね、わたし。
これからはもっと向き合うよ。自分の言葉に背を向けない。
だからこれからは正直に一緒に生きていこうよ。
これから一生の付き合いなわけだから、もっと自由に生きてみてもいいかな。
いいに決まってる、とことん付き合うよ。