「何に対しても自信がなかったけれど、そんなに悩む必要があったのだろうか」
私は、自分に自信がない。そのため、私の選択にはいつも少なからずの不安が付きまとっている。
大学院に行くつもりでいても、就職活動をする友人を見て決意が揺らいだ
大学院進学もその例外ではなかった。大学院に行くことを決意したつもりでいても、就職活動の準備をする友人を横目に決意が揺らいだ。十人十色ということばがあるように、人生を歩むうえで、他人と比較することは不要だと考える人もいるかもしれないが、私はどうしても人との比較をやめることはできなかった。そしていつしか周りばかり気をとられてしまい、本当になりたい自分すらも見失っていた時期が数か月続いた。
私は常に他人と比較しては、「本当にこのままでよいのだろうか」「何もすることができない私はだめな人間なんだ」と思い、どんどん自信がなくなっていた。そんな私にとって、コロナ禍のステイホーム期間は、ある意味でとても快適だった。周りの人と比較する機会が減るし、そもそも周りの人も積極的に活動をすることができなくなったからである。友人との比較が減ったため、私は自分自身と向き合うゆとりができた。そこで初めて自分が意識している以上に人と比べて悩み、自信を無くしてばかりいることに気がついた。
友人は「あなたは素敵な人だよ」と言った
そのことを友人にふと相談してみることにした。解決策を望むものではなく、本当に何となく話を始めた。
話の途中で友人は、「なんで?」とつぶやいた。私は、友人に話したことをすぐに後悔した。友人のことばは、こんなにちっぽけなことで悩んでいる私に対しての呆れやいらだちだと思ったからだ。もうこれ以上友人の話を聞いて傷つきたくないという私の思いとは裏腹に、友人は話を続けた。
「あなたには素敵なところが沢山あるのに、どうしてそんなに自信がないの?」
そう言ったのである。
何を言っているのだろう、そんなはずないのにと思う私の心を読むように、「あなたは素敵な人だよ」ということばに続いて、「話題に入れない人がいたらさりげなく会話にいれてあげてて、気遣いができると思ったよ」「ゼミ休みがちだったAちゃんに連絡してて、優しいと思った」などと、具体的な例をいくつも挙げて説明してくれた。友人が私のことを表面的な部分で励まそうとしているのではないことを理解した。
そして、私がした何気ない言動を気に留めて評価してくれていたことが本当にうれしかった。また、自分だけの世界に閉じこもって、必要以上にネガティブな方向に考えてばかりで、本当の意味で周りを見ていなかったのかもしれないと気づいた。
1人で周りと比較をして自信をなくす必要はないのではないか
友人の話を聞き、こんなにも私の良いところを知ってくれている友人がいるのだから、自分自身でも自信が持てるところはあるはずだと思えるようになった。友人の過去の行動への肯定は、これからの価値観を変える原動力になった。私のことを客観的且つ肯定的に評価してくれる友人がいるのだから、1人で周りと比較をして自信をなくす必要はないのではないかと思えたからである。
何気ない気持ちで話したことで、友人がもたらしてくれたきっかけは、私1人ではみつけることができなかった。ただ、友人のひとことはきっかけであり、根本的に私の価値観を変えるものではないことも理解していた。
先ほど例に挙げた「大学院に進学する」という選択が、私にとって自信をもっていい道といえるかはどうかはやはりまだわからない。ただ、友人のひとことを糧に、自分を信じて努力をことはできる。その努力をする過程で、いつか私も私自身を認めることができたらと思う。