品よく、感じ良く、おしとやかに。
私が幼稚園に通う頃から、私の家族(母と祖父母。父と母は離婚しているため、父はいない)は、私にそのような振る舞いを、無意識にでも求めていたと思う。
私の家族は、私に対して過度に教育をしたり、マナーを教えたりするわけではなかった。
例えば、習い事ひとつとっても、無理に何かをやらされた記憶はない。私はやりたいものをできたし、やめたい時には、私がやめたいと言えばやめられた。
そう言うまでに私は、自分のなかで何度も何度も、本当にやめてもいいのか、やめたいことをどう言おうか、と考えていたのだけれど。
無意識に品のよさを求められた私は、外では大人しい子どもになった
祖父母も母も、確かに品がある。
皆、今は地方都市に住んでいるのだが、郊外の人にありがちな、他人のうわさ話や、近所の人の暮らしぶりを話しているところなんて、一度も見たことがない。もちろん、特に母は、職場の人とのことを、たまに祖母に話してはいる。けれどそれも一方的な悪口ではなく、仕事の愚痴といったところだ。祖父も、物静かで、穏やかな人だ。暴言の「ぼ」の字も見えてこない。
家族は、顔はもちろん、雰囲気も似ていることが多いが、雰囲気は自然に似るではなく、既に家族の一員である人々が、新しい家族(子どもや孫など)に対し、無意識に、自分達と同じような雰囲気を纏ってほしいと願い、それが、言葉にせずとも新しい家族に伝わり、新しい家族がそれに応えた結果、似るのではないかと思っている。
もちろんそれだけが原因ではないだろうが、こういったことも一因にあるだろう。
「品よく、感じ良く、おしとやかに」を、無意識に求められて育った私は、外では大人しい子どもになった。
元々私は、ふざけたり冗談を言ったり、走り回るのが好きなのだけれど、小学校のクラスでは、それらからかけ離れた女の子だった。
Kちゃんは「ねこ美ちゃんは変わっているね」と言った
私はそのままのキャラクターで、中学校に入学した。
中学校は人数が多く、知らない人がほとんどだったけれど、友達はすぐにできた。彼女は名前をKちゃんといい、私は中学に入学してすぐの頃は、彼女と二人で行動していた。
初夏。体育の授業で50m走のタイムを測ることがあった。初夏とはいえ、お昼前のグラウンドは、強い日差しに照りつけられ、影などどこにもなかった。心地良く、微かに涼しい風が吹いていたのが幸いだった。
50m走ができるコース(そこだけ地面が人工で、線が引いてある)が1か所しかなく、確かそれは、いっぺんに4人ほどしか走れなかったと思う。だから走るのを待っている生徒は暇で、みんなコースの近くに集まってはいるのだけれど、好き勝手におしゃべりをしていた。
私もKちゃんと、他愛もないことを話していた。
何の話からそうなったのかは覚えていないが、Kちゃんが私に、
「ねこ美ちゃんは変わっているね」
と言ったことは、私の頭に強く残っている。
なぜならそれが、私を変えたひとことだからだ。
Kちゃんは、ちょっとのいじわるな気持ちも含んで言ったように思う。
その時の雰囲気や、言い方がそうだった。けれど大半は純粋な気持ちだったと思う。
私はKちゃんの言葉が、当時の天気のように、爽やかな風そのものに感じられた。
なぜかはわからないが、私は何かから解放された気がしたのだ。その何かを突き詰めると、家族からの無意識の「押し付け」だと気づいた。
変わっていることと、品がいいことは、相反するものではないけれど、それらが似ているものではないことも事実だ。だから私は、解放された気がしたのかもしれない。
「変わっている」から、自分の意見を臆することなく言える
「変わっている」と言われたのは、このときが初めてだった。
「変わっている」から、自分の意見を臆することなく言える。「変わっている」から、過剰に感じ良くしなくてもいい。
Kちゃんに一言を言われた後の私は、そう思っていたし、実際に前より、友達と接する時や、クラスにいる時の窮屈さが少なくなった。
そうはしていても、人から「品がある」とか「真面目」とかは言われるけれど、Kちゃんに言われる前の私は、もっと真面目で、もっと周りに気を遣っていた。
周りの人にはわからないレベルでも、私は確実に楽になり、元の自分に近づいていった。
Kちゃんの一言から、既に11年が経った。
今の私は、その一言ありきの、アップデート済みの、私である。