あぁ、まただ。昔からの悪い癖。
頑張らないと、頑張らないと、頑張らないと
そんな呪文が私を支配する。
何のために頑張るの? 常に何かに追われて心が休まる日がなかった
学校の勉強だって頑張らないと。テストでいい点取る為に。作れる限りの最大限の勉強時間と勉強量を確保して、クラスで上位に入らないと。
運動会だって頑張らないと。ストレッチに毎朝のランニング。リレーの選手に選んでくれたみんなの期待に応える為には、しっかり準備をして、体を整えないと。
友達の誕生日。喜んで貰う為には睡眠時間だって惜しまない。これだけ必死にやったんだから喜んでくれるよね。
細い子が好きだと言った彼の為にダイエット。甘いものも、油を使ったものも我慢我慢。1週間後会った時に可愛くなったねって言ってもらう為にはこれぐらい当たり前よ。
会社での営業ランキング。ライバルと僅差で1位争い。上司がこのまま走り切れば嬉しいと言った。ここで負けるわけにはいかない。
頑張らないと、頑張らないと、頑張らないと。
いつだってそうだ。みんなの期待に応える為、みんなの期待を裏切らない為、いつだって頑張っていた。何のために頑張っているのかも分からなければ、どうしてこんなに頑張っているのかも分からなかった。頑張らないといけないが故に、常に何かに追われて心が休まる日がなかった。これが終わればあれをやって、いついつまでにあれをやって、何時に用事があるからそれまでにこの課題を終わらせて。そして心の容器がいっぱいになった時、誰にもみられないようにうわーっと叫んでは何事もなかったかのように日々の生活に戻る。そうしてまた頑張って頑張って頑張って……。
怒りや悲しみや苦しみの感情が涙として表れた私を見て姉は
それは社会人生活も慣れたある日のこと。息抜きの為に実家に帰ってきたはずが、仕事が片付かず、家で作業の続きをしていた。そんな私を見て、同じく実家に帰ってきていた姉は「家でぐらいゆっくりしたらいいのに」と、言った。そんなことを呑気にいう姉の言葉にイラっとした私は「私だって頑張りたいわけじゃないよ」と、返した。すると更に「じゃあ止めちゃえばいいじゃん、久しぶりの家族の時間なんだから遊ぼうよ」と、近くにあった人形をふりふりさせながら言った。その言葉がなんだか猛烈に腹立たしかった。頑張ることで応えてきた、みんなからの期待や要求を全て蔑ろにされた気分だった。というよりも私自身仕事で気持ちがいっぱいいっぱいだったのかも知れない。怒りや悲しみや苦しみの感情が言葉ではなく涙として表れた私を見て姉は言った。
「みんな死ぬんだから」
自分のことを最優先に考えて無理はするなと言いたかったらしい
いきなり何を言い出すんだこの人は。みんな死ぬなんて世界中の全員が知っている話だ。今のタイミングでわざわざ言う話ではない。そんなことを思いながらも、涙が止まらずいる私に更に姉は言った。
「どれだけ頑張っても頑張らなくても、みんなの期待に応えても応えれなかったとしても、100年後にはみーんな死んでるの。空気にもなってないよ。無だよ、無。だからそんなに頑張らなくても大丈夫。自分のやりたい事をできる範囲で頑張ればいいの。仕事の代わりなんかいくらでもいるでしょ、友達の誕生日だってあんたが祝わなくったって別の子が祝ってくれるわよ」
後々聞くと、つまりは自分のことを最優先に考えて無理はするなということが言いたかったらしいが、
「みんな死ぬんだから」
この強烈な一言を選んだことにより、この言葉は私の心に一生居座ることになった。
やはり、日常で頑張るべき時や頑張りたい場面はやってくる。みんなの期待にだって出来る限り答えたい。それでも出来る限りを越えてしんどくなった時、自分で自分が無理していると気づいた時、私はこの言葉を思い出して、熱くなった自分の心をクールダウンさせている。