交際していた恋人に「他の人と幸せになって」と言われた24歳の誕生日。1年に1回の日にこんな思い出を作ってしまってごめんねと謝られた。いいよと答えることもできず、ただ受け入れるしかなかった。私たちは、かねてより抱いていたお互いが描く将来像の違いについてようやく話し合い、散々悩んで、悩んで、悩んだ結果、別れを選んだ。
「元恋人」になっていくあなたの幸せを願うことはできなかった
私を愛してくれた過去がなくなるわけではない。どちらかが悪いのでもなく、あなたを恨むべきでもないと十分分かっていたはずなのに、どうしても、「恋人」から「元恋人」になっていくあなたの幸せを願うことはできなかった。不幸を願ってしまった。私を失ったことを後悔すればいいのに…と。
お互いの将来のために別れたはずだったのにね。
あなたの幸せを願うことができなくてごめんなさい。
かつて自分を愛してくれた人間が、自分の知らないところで幸せになることを好ましく思えない私は、なんと心が狭く醜いのだろう。人の不幸を願ってしまった事実に嫌気がさす。
思えば、交際していた4年半の間、なんだか人に話すのが勿体ないと思うほどの大きく深い愛を受け取っていたと思う。会わない日はないというほど何をするにも一緒だった時期も、海を跨いで遠く離れ、時差を考えながら連絡を取り合っていた時期も、言葉や行動に滲み出る愛情を日々感じていた。くだらない長電話や何枚も送りあった写真、何気ない一言やただ黙って隣にいてくれたあの日。お互いに、お互いを必要としていると信じてやまなかった。これからも当たり前に一緒に歳を取っていくのだと思っていた。
愛したい人を愛しただけという考え方を、私もできたらよかったなぁ
私はきっと、私のことを愛し、必要としてくれる存在が愛おしくて仕方がなかったのだと思う。だから、私がいない未来を受け入れ、別れを決断したあなたに不満を感じてしまった。一方あなたは、愛情が返ってこなくともよかったのだと言っていたね。愛したい人を愛しただけなのだと。きれいごとだなぁと思う反面、無理やりにでもいいからそんなきれいな考え方ができたらよかったなぁと、また自分の心の狭さと醜さを感じてしまう。
あなたは本当に私の幸せを願ってくれていたんだね。
私は、あなたが私と一緒に幸せになることしか願うことができずごめんなさい。
愛された過去は人を強くするという。これが本当であるならば、私は間違いなく強い人間だと自信を持って言える。好きになってくれてありがとう、たくさん愛してくれてありがとうという感謝の気持ちは別れ際に伝えることができたのに、最後の最後に不幸を願ってしまったことへの謝罪の気持ちは伝えることができない。謝ると同時に醜い願いを伝えることになってしまうから。
幼い頃は当たり前だと思っていた「好きな人と結婚する」というのは本当に難しい。両想いは奇跡だ。24歳にして恋愛に真面目に悩んで、傷つき、乗り越え方が分からずにいる。この経験も、この選択も、この謝罪の気持ちでさえも、将来思い返した時に必要だった、正解だったと思いたい。