私の職業は、なんというか説明がしにくい。
演劇を企画する団体に所属しているが、演劇をやるだけではなく、人形劇、演劇祭の主催、それ以外の主な時間は居酒屋の運営とスタッフとして働いている。
以前まで名目としては居酒屋のスタッフ、ということでお給料をいただいていたので「飲食業」と言えた。
しかしコロナになってからというもの、そこの運営だけでは当然厳しくなった。
そのためいろんな方面に助けていただきながら、何とか居酒屋を存続させつつ、芸術系の助成金をいただき、活動することでお金をいただけている。
このせいでますます、私の職業は曖昧なものになってしまったのである。

高校生の時、進路を決めなければいけない時期になり、勉強が嫌いだった私は親から「大学へ行かずにそのまま就職したらどうだ」と言われたことがある。
大多数の友人が大学や専門学校への進学を決めていたため、私は驚いた。
なりたいものが定まっていない私は漠然と「大学へ進むのだろう」と勝手に思い込んでいたのである。
面食らった私に父がある言葉を放った。その一言で私の進路は大学に決まった。
「ま、就職すればお前がずーっと避けていた普通の人生になるけどな」
父は何の気なしに言ったに違いない。しかし、私にとっては決定的だったのだ。そんな未来は避けなくては、と。

「就職セミナー」に感じた動物的感覚での違和感

しかし特にやりたいこともなく大学に進んだ私は結局、一年の終わり頃までダラダラ日々を浪費していた。
途中で気がついたのだ。
「大学に進学すれば勝手に素敵なキャンパスライフが送れると思ったのが間違いだった!」
こうして、自分で調べて今の団体に所属をすることになる。

団体に所属してからは忙しい毎日だった。
若かりし私は相変わらず何も深く考えずに好きなことで生きていきたい。ということだけを考えていた。

私は就職活動ということをしたことが一度ある。
その一度というのも大学二年生になってすぐの頃、「就職セミナー」というものがホテルの一室で行われるのだと、友達に誘われたものだった。
私はそこでも実に動物的感覚で違和感を感じていた。
例えば私がこの中のどこかに就職してからの未来に、幸せが想像できない。心からそう思った。

「好きなことで食べていく」ことが実現可能だと信じてやまない

こんな世の中になってしまったのだが、それでもインターネットやSNSがここまで発展し、
世の中に発信することでお金が発生するシステムがこれだけ構築されている中で「自分の好きなことで食べていく」ということが実現可能だと、私はどこまでも信じてやまないのである。
こんな時代に夢を仕事にしないなんて、そんな選択肢あるんだろうか。
もちろん高校生の私は何も考えていなかったし、大学生の私も恥ずかしながら深くは考えていなかったわけだが、持ち合わせていた動物的感覚を信じて日々過ごした私を褒めてやりたいと思う。

誰もが小さい頃夢見ていた仕事があったはず。
いつの間にか大きくなって、大人になって、いろんなことを知ってしまって、選択肢が狭くなって、いつの間にか我慢ということを覚えてしまっている。
私は街中を歩きながら考えているのである。
「一体この中でどれだけの人が今、自分の好きなことを仕事にしているのだろう?
例えば好きなことじゃないとして、どれくらいの我慢を抱えて生きているのだろう。」

夢追い人だと言われても、好きなことで食べていく可能性を追ってやる

私はというと、決して裕福とは言えないかもしれないが、我慢の度合いは少ないと思う。
居酒屋に必要以上に大きな声の人が来ると、ひやっとした気持ちにはなるが(笑)、それくらいのものである。大したことはない。
それくらいの我慢の中で、好きなことで一生食べていける可能性を追えている。こんなにコスパがいいことは無いのではないか。
夢追い人であると言われるのも承知しているし、家族にさえ白い目で見られることもしばしば。
でもそんなときに言えることはきっと一つだ。
「好きなことを仕事にするを諦めず追ったのは私だ」
この先、働いているんだか、遊んでいるんだか、と言われながら生涯を終えてやる。と思っているところなのだ。