今まで、働きたくないと思った事はない。
高校生の時から、とにかく早く働きたいと思い、アルバイトをやりたいと親と何回も交渉していたし(実際は校則で禁止だったのと、私の親からは勉学に励みなさいという理由で、アルバイトはさせてもらえなかったのだけど)、大学生になってからは3つのアルバイトを掛け持ちして、狂ったようにシフトを入れていた。
周りの友人や家族の影響と、ピンとくる仕事がその当時なかったため、私は当たり前のように大学へ進学したが、金銭面と将来性とやりがいがマッチする仕事があれば、間違いなく、高校卒業後にそのまま働く道を選んでいただろう。
昔から働くのが大好きだった。仕事を辞めたいという友人たちに共感ができなかった
昔から私は働くのが大好きだった。
周りの友人たちは、すぐに仕事を辞めたいだとか、できれば専業主婦になりたいだとか言うけれど、共感はできなかった。…なぜだろう。
考えを巡らせてみると、ふと思いつくことが一つ。
私は人から、与えられることが苦手だ。奢ってもらったり、何かを無償でやってもらったり、そういうことが苦手。自分の努力なしに、そのような無償の恩恵を受けると、肌寒くなり、何かお返ししなきゃ!本当はこの人どう思っているの?きっと何か裏の顔があるのね…?と思ってしまう。良く言えば遠慮深い、悪く言えばとってもとっても可愛げのない女なのだ。
何故こんな女に育ってしまったのだろうと、自分で首を傾げる。
不思議なのは、逆に、私は自分から誰かに何かをやってあげたり、プレゼントしたりすることは大好きなのだ。対価を求めているわけでもなく、純粋に喜んでもらえるのが嬉しい。人に喜んでもらえることで、自分の価値を見出してしまっている、所詮自己満足なのだろうけれど。
人のためになっているという感覚は、自己肯定感を生み出してくれる
この私の性格が、仕事に対する意識に直結している気がしてならない。
私は人に何かを与えることがとにかく好きで、そのためなら頑張れてしまう。職場でも求められる以上のことをやりたくなってしまうし、私に仕事を任せてもらうことに苦痛を感じない。
もちろん、「あぁ今日会社に行くの嫌だな。」と思う日だってあるけれど、行ってしまえば、職場の人と話したり、ちょっとしたコーヒーブレイクだったり、小さな楽しいことはいくらでもある。思いっきり上司にムカついて、同期に「こんなことがあってさー!」と愚痴をぶちまける時間だって、後から笑い話になる。
自分の仕事で、人のためになっているという感覚は、自己肯定感を簡単に生み出してくれる。
仕事とは、生きる糧。”自分の稼いだお金を自由に使うこと”が趣味なのかもしれない
そして何よりも、働くとその分お金がもらえる。自分のお金がもらえることで、自由に飲み食いも出来るし、好きなところへ行って、好きなものを好きなだけ買える。働いているから、お金を使うのが楽しいし、お休みが嬉しい。こんな幸せなことって他に無い!
仕事に「誇り」「使命」だとか、そんな大したものは全く無い。私は仕事を頑張ることによって、私が私を認める材料になっている気がするのだ。だから働く事はやめられない。
おそらく、私の中での仕事とは、生きる糧。
よく、定年退職後のおじさんが、家にいてもやる事ない、生きがいを無くす、そしてボケる、なんて話を聞くけれど、悲しいかな、まさに私も同じだろう。“仕事”が趣味、だなんて良い歳の女にとって酷な話だけれど、私はまさにそうなのかもしれない。
いや、どちらかというと、“自分の稼いだお金を自由に使うこと”が趣味なのかな。
そんな私は、今から定年後の心配をしよう。