「顔が好きだった」
付き合ってからしばらくたったときに、彼氏が私を好きになったきっかけを教えてくれた時のことである。この言葉は恋愛をするうえで、あまりポジティブに捉えられないかもしれない。外見だけしか見てくれないことがコンプレックスという場合があることもわかっている。でも私にとってはすごくうれしくて、自信が持てたひとことであった。

今思い返すと、私は幼いころから幸せなことに「かわいいかわいい」と愛されながら育ったと思う。また、小学1年生から4年生の終わりまで全校生徒5,60人、クラスメイトが10人ほどの日本人学校に通っていた。

「ブス」の一言がずっと忘れられなかった

少人数でみんな友達みたいな感覚で、悪意のある言葉をかけられることもなく、ぬるま湯のような環境で過ごしていた。
この環境に恵まれすぎていた小学4年生は、日本に帰ったときにはじめて悪口を知った。

「ブース!」

小学校4年生で初めて言われたこの言葉が、約10年間、ずっと忘れることができなかった。

こんな言葉を言われるのは初めてでとても驚いたし、ショックだった。小4の男子が言っていることなので、その時言いたかった何の気なしの言葉だと今なら思う。

でも当時の私にとって、自信を無くすのに十分すぎるひとことだった。

私は、私を「ブス」だと思い込むことにした

それからは、自分のことを「ブスなのだ」と思い込むことにした。かわいいと思っていてブスと言われたらショックだけど、ブスだと思っていて急にかわいいと言われれば喜べる。

今考えればおかしいと笑えるが、この考え方が自分なりの逃げ道だった。また、自分で自分を卑下して生きるのはすごく楽だと思っていた。

評価基準が低ければ、すぐ達成できるから少しはマシに感じられる。でもその代わり何かアクションを起こそうにもすぐ悩んでしまうし、ましてや新しいことにはチャレンジなんてできなかった。

「あの男子を見返してやる!」と前向きになれていれば、「いい話」になるかもしれないが、当時の私には無理だった。

私は昔からかわいいものが好きだったけれど、似合わないと言われるのが怖くて好きなことからも逃げた。

私はこれからも、自分の顔や見た目を気にしてしまう

スカートもワンピースも着たかったし、メイクもしてみたかったけれど、今まで逃げ続けたツケは大きくて「似合わないかも」「変に思われるかも」という思いが先行してしまった。
当時はいつもこのようなつまらないことで悩んでいて、ほんとうのブスになっていたと思う。

しかし彼氏から顔を肯定されてから、卑下する機会が少なくなっていった。かわいいとかいう単なる誉め言葉ではなく、好きと言ってもらえたことがうれしかったのだと思う。

21歳になった今、やっと、自分の顔が嫌いではなくなってきた。メイクをしてみたり、今まで着たことがない服を着てみたり。

いま、外見を気にしない人がかっこいいとか、ありのままの自分が好きといえる人が素敵とか、そういう風潮があるかもしれないが、私はこれからも自分の顔、見た目を気にしてしまうと思う。

でも外見を好きと言ってくれた人と同じくらい、自分のことを好きになりたい。