社会人1年目、現在絶賛休職中。期間は3ヶ月を超えて、年末年始はおろかバレンタインまで実家で過ごしている。給料が7割になろうが、来期のボーナスが減ろうがもうどうでもいい。とにかく何もしたくないし、働きたくない。コロナ禍で失職した人がいる中で恐縮だが、毛布に包まる生活をずっと続けていけたらどんなに幸せだろうか、と日々考えている。

かつてあれほど焦がれた「御社」も、今では考えたくもない「弊社」に 

こんな私でも就職活動は熱心に取り組んだ。選んだのはある専門職。大学4年の夏を過ぎても妥協せずに就活をして、ようやく掴んだのが今の職場だった。しかし、かつてあれほど焦がれた御社も、今では考えたくもない弊社となってしまっている。入社のために並びたてた美辞麗句も、面接官を押し切ったパッションもどこかへ消えて、うじうじと悩む私には働く理由はもちろん、将来の展望さえわからない。

そもそも、私の働く理由は「社会的地位を得て、周囲に認められること」だったと思う。

大学入学と同時に、地方から上京した私には目に映るものすべてが煌めいて見えた。以降、自分がその中に馴染み、かつ同等以上に輝くにはどうしたらよいかという考えは常に無意識下に存在していた。より難しい仕事をして、より多くのお金を稼ぐことは「正しい」はずだ。だからこそ就職先は東京の大手を選んだ。故郷の家族に手を振って、荒波に飛び込んでいった。

身体に異変が起き始めたのは入社してすぐのことだ。深夜、全身に蕁麻疹が出て朝になっても治まらない。病院に行って薬をいくつか出してもらったが、目が冴えたまま眠れないのは変わらなかった。この入眠障害は半年以上続き、ひどいときは明け方まで寝られなかったことも度々ある。他にも月経が遅れがちになり、めまい・立ちくらみをしょっちゅう起こし、慢性的な頭痛を抱えた。ものもらいができたこともあった。これらの身体症状のうち、もっとも深刻だったのは胸痛である。身体の内部から心臓を鷲掴みにされて、ぎゅうと絞られるような感覚が3日3晩続いた。

送り出してくれた家族に、ボロボロの自分を見られるのは情けなかった

原因には心当たりがいくつかある。まずは勤務が不規則なこと。呼び出されることは時間問わずあり得たし、夜勤もある。夜勤明けのまま深夜まで働くことは珍しくなかった。次に業務の難解さ。「若いうちから活躍できる」などという耳ざわりの良い言葉は、つまるところ指導のないまま実践させられるということだ。何も教えられず、サポートの無い未熟な自分がベテランばかりの周囲にしがみつくのは労力を要した。極めつけは上司である。初めて会ったときからソリが合わなかった。新人に厳しいと有名な上司は、何か気に入らないことがあれば容赦なく私を罵った。不必要な圧は人を萎縮させる。縮み上がった人間のパフォーマンスなんてたかが知れていた。無能な私に上司は苛立ち、また圧を与えて、再度私は怯えてしまう。地獄のような悪循環からずっと抜け出せないままでいた。やがて、心身は限界を迎えた。

会社に行けなくなった翌日の夜、田舎から迎えに来てくれた家族に半ば回収されるように東京を離れた。送り出してくれた家族に、こんなボロボロの自分を見られるのは情けなかったし、消えてしまいたかった。キラキラと瞬く東京シティ。そこに溶け込めなかった私は、自身の考える「正しさ」から外れてしまった人間だ。「これからどうしたらいいんだろう」。東京と地元を繋ぐ高速道路で、その考えばかりが私の頭を占めていた。

家族で過ごす幸せな時間。働く理由はここにあるのか、それとも

逃げ帰った故郷で私は今、穏やかな時間を過ごしている。

入眠は容易く、早朝自然と目を覚ます。森林浴をしたり、読書、映画鑑賞と文化的生活も楽しんでいたりする。料理を作ることも食べることも嬉しくて、特に家族全員で食卓を囲むときは幸せに満ちている。甥っ子姪っ子の笑い声には、こちらも自然と笑みが零れてしまう。

直接兄に聞いたことはないが、きっと奥さんやこの子たちのために働いているんだと思う。母もそうだった。同年代の女性よりも遥かに老いている母の手は、皺とシミだらけで爪も歪んで尺骨が飛び出ている。帰宅すれば「働きたくない」と愚痴を漏らす母は、翌朝になればちゃんと出勤した。私たち家族を養うためだ。彼らの働く理由は家族にある。じゃあ、私はどうして働くんだろう?

答えは見つかっていない。働く気力もまだ戻っていない。でも、いずれは働かなければならない。生きるためにはお金が必要で、だからみんな働く。でも生きるために働くだなんて味気ない。なぜ「生きたい」のか?この理由こそが「わたしが働く理由」になるんじゃないか。母や兄のようにその理由が家族でも、当初のように自己顕示欲を満たすためでも、あるいはそれ以外でも構わない。この休職期間を実家で過ごすうちに、自分なりの「生きたい」と思える原動力を探し出せたら、と今は願っている。