私の母の口癖は「私が子供のころは……」だった。

私はこの言葉が嫌いだった。「あなたたちは幸せなのよ」と言われている様に感じ、私は絶対この言葉を使わないと自分に誓った。

しかし、気づけば私の中にも知らぬ間に同様の感情が湧いていた。弟に「私があんたの歳のころは」と言って、「姉ちゃんも母ちゃんと一緒」と言われた。とてもショックだった。でも、その後も同じ様なことを何度か言ったと思う。

この「私が〇〇のころは」問題、私と母親だけの問題ではなかった。

「私が〇〇のころは」に対してモヤモヤするのは私だけ?

小学校に上がって、担任の先生が何度か口にしていた記憶もあるし(1人だけではない)、それ以降もあらゆる人の口からこの言葉を聞いてきた。

なぜ、みなこの言葉を使いたくなるのか。ただ単に大人(年長者)として、次世代たちへ教訓を説きたいだけなのか。私が感じたのは、この言葉の裏にある「あなたたちは恵まれている」または「感謝すべき」と言った隠された感情。

「あなたたちは恵まれている(私が〇〇のころはそうではなかった)」と、私の母がよくこの言葉を使ったのには訳がある。母は、親から厳しく育てられた。叩かれ、厳しい言葉で戒められた。母はよく「自分の親の様にはなりたくないから努力している」とも言っていた。その努力を、私たちに認めて欲しかったのだろう。だからしきりに、自分の幼少期と比べていたのだ。

ただ単純に、私が「ああそうか、私は幸せなのか」と捉えられればよかったのだろうか。この言葉に対するモヤモヤを抱えている人間は、私だけなのか? 優しさと幸せの押し売りだと思うのは、私が周囲に過敏すぎるせいか?

この言葉を使う人は、何かしら心が満たされなかった過去や、世間に対する不満を抱えていると思う。なぜなら、私や私の母がそうだから。この先、子供を産むかどうかもわからないのに、私が考えることは、“私が親になったら、私の母みたいにはならない”ということ。

欲しいものがもらえずに、満たされない私の心。どうしたらいいの?

自分が親から、“して欲しかったこと”や“かけて欲しかった言葉”をもらえないまま大人になった私たちは、結局似たもの親子になった。きっとこの言葉を使う他の人も私たち親子同様、過去や世間に対し満たされることのない、何かしらの不満を抱えているのだろう。

欲しいものがもらえずに、満たされない私の心。どうしたらいいの? 満たされないのが私の心なら、私の心を満たしてあげればいい。生まれてくる(かもわからない)子は関係ない。

満たされない私の心、満たしてくれるのは誰? 誰かに満たしてもらおうとして、失敗して、ようやく答えに近づいた。

親が言ってくれなかったのなら、自分で言ってあげればいい。親がやってくれなかったのなら、自分でやればいい。親が買ってくれなかったのなら、自分で買えばいい。だって私は、もう十分大人になったのだから。

母親にかけて欲しかった言葉、今の私が自分にかけてあげればいい

当時、母親にかけて欲しかった言葉や、かけられて辛かった言葉を今更とやかく言っても、あの時の私は笑顔にはならない。だったら今の私が、今の私を笑顔にしてあげるべき。

かがみよかがみ、そこに映るのは私自身。「あなたならできる」と励まして。「よく頑張った」と自分を褒めて。「そのままのあなたで十分」と認めて。

幸せな話をしている人のところには、幸せが集まってくる、類は友を呼ぶというでしょう? 見栄ではなく、本当に心から自分の幸せを感じるには、誰かに求めていては無理だと気づいて。

自分で歩いて行く決意と努力をして、後ろは振り返らずにゆっくりでも前へ進み始めれば、
未だゴールには程遠い道の真ん中にいたとしても、きっと私たちの心は満たされていくから。