「主婦の労働対価は、年間いくらが妥当なのか」
「逃げ恥」夫妻も触れていたこのテーマ。様々な方法で算出されたフワッとした数字が、今日もネット上を漂っている。
300万円…400万円…もっと多い?むしろ0円?(絶望)
家庭で生きる主婦達は、いくらの労働対価を認められたら満足できるのだろう。例えば私が旦那や国から、毎月25万円を頂けるとしたら?
……有難いが、有り得ない。私の家事能力はあのナギサさん(ドラマ化された漫画「私の家政婦ナギサさん」より)には遠く及ばないし、実際の手取りをそこまで期待している訳でもない。
では額面を現実的にして、毎月5万円なら?
……それも違うんだよなぁ。私はそのお金をすぐさま生活費か貯金に回すだろう。お小遣いをもらえば主婦の心が満たされる、なんてこともない。
じゃあ私が、旦那や国に「ありがとう」って言われたら、家事や育児の労働は全て報われる?
……それは一理あるかも。でもそれが全てという訳ではない(めんどくせェな!)。とはいえ、「ありがとう」と言われるためだけに働ける人は、主婦でなくともいないと思う。
私はめんどくせェし、小賢しいだ。それこそ「逃げ恥」のみくりさんも、自身の小賢しさには頭を抱えていた。
しかし主婦というのは、小さな賢さを寄せ集めてマルチタスクをこなしつつ、家族のために常にスタンバイモードで暮らす生き物だ。それが必要なスキルなのだから、ある程度の小賢しさは、どうか許して頂きたい。
そして私はこの小賢しさを、自身のスタンスを崩さずに、社会に還元し続けられないかと考えている。
主婦になったときの「社会との繋がり方」の選択肢の少なさ
そもそも私が主婦なのは、3人目の子どもを授かり、重症妊娠悪阻を患ったことがきっかけだ。今では経過も順調で、穏やかな妊娠後期を過ごしている。
では、私がいつまで主婦を続けるか?それには一応、見通しがある。春先に生まれる女の子が幼稚園児になるタイミングで、延長保育を利用しつつ再び働き始めるつもり。
こんな私が引っ掛かっているのは、主婦となったことによって、社会との繋がりが断絶した点。私達女性が新たなライフサイクルに突入する際に提示される、「社会との繋がり方」の選択肢の、何と少ないことか……。
例えば妊娠したならば?「退職」「1年前後の産休育休」「生後数ヵ月の乳児を保育所に預けて復職」。一般的には3択だ。しかし、実際は1択。職場の慣例や自身の体調、経済状況など、どうしようもない理由によって決まるのだから。
「主婦の労働対価」が時折話題になるのも、そんな選択肢の少なさが影響しているんだと思う。
また、そうして選択肢を「選ばされて」家庭に籠る私達は、これから「妻」や「主婦」になるかもしれない女性達に、ジッと凝視されている。未来に不安を抱える彼女達の混沌とした胸の内が、私にはうっすらと見える……。お願いだから、一個人の生活を見て、自分の未来を想像しないでッ(懇願)!!……これはよくない。絶対早く、何とかした方がいい。
社会に蔓延る「主婦」のイメージや「主婦」のあり方を変えたい
20代、30代の私の人生。私はその期間の大部分を、家庭に全振りすると決めた。これは私と旦那の決断だから、後悔はない。
しかし、他にも多数の選択肢があったとしたら?今からでも、家庭に重きを置きながら、ゆるやかに社会と繋がる時間を確保できるとしたら??……めっちゃええやん。
私は社会に蔓延る「主婦」のイメージや「主婦」のあり方を変えたい。
まずは現状、常に家族のためにスタンバイモードの「主婦スイッチ」を、オフにできる時間を作りたい。その時間を当たり前のものとして、全ての人に受け入れて欲しい。
そして私達はその数時間を、学びや労働に充てる。だから企業には、「家庭で時間を選ばず細切れで取り組める」学びや労働の形を、主婦に提示して頂きたいのだ。
例えば主婦を対象としたキャリアアップ講座があれば、一度離職した主婦の再就職にも繋がるだろう。
最近、働く女性に向けた「フリーランスになろう!」「副職を始めよう!」といった広告を良く見かけるようになってきた。素晴らしいと思う。しかし残念、主婦が家庭に重きを置きながら飛び込むには、依然ハードルが高いものが多いと、私は感じている。
今後その点をカバーする取り組みが生まれたなら、国にも手厚い後方支援をお願いしたい。
また、妊娠、出産した女性に向けて、復職を見越したゆるやかな在宅ワークを当たり前にするのはどうだろう。
「1年前後の産休育休」と「生後数ヵ月の乳児を預けて復職」という2つの手段の間に、働き方の選択肢が増えたとしたら。企業は、妊娠だけではなく、介護や体調不良など、今まで切り捨てられてきた多くの人々の働き方の変化に、やっと対応できるようになる。
妊娠した女性に罪悪感を抱かせないための工夫は、他の人々の労働環境も、同時により良くするはずだ。
求めるのは、仕方なく手放してきた「個として社会と繋がる時間」
家庭を基盤とした女性が割けるのは、短い時間と小さなパワー。それに相当する評価や対価となると、当然小さいキャリアアップや少額のお金になる。
でも、それでもいい。むしろ、それでいいのだ。私は25万円や5万円といった「主婦の労働対価」を認めて欲しいのではない。私が本当に欲しいのは、これまで仕方なく手放してきた「個として社会と繋がる時間」と、それ相応の評価や対価なのだ。
途切れることなく、ゆるやかに社会と繋がり続けた主婦達が再度、本格的に社会に繰り出した際には、これから「妻」や「主婦」になろうとしている方々にも、親身なって寄り添えるだろう。これぞ、共助!(公助もよろしく!)。
リモートワークの普及は追い風になるかもしれない。
私達が永遠に小賢しいだけの主婦だって、いつ言った?未来の主婦達の日常が、アイドリング期間ではなく、ささやかながら掛け替えのない、キャリアの一部として認められますように。
そして、仕事に重きを置いて生きる人達とも、互いに人生の選択を認め合えますように!!(悲願)