先日、私は人生初の失恋をした。ついでにいうと、人生初の恋愛でもあった。それはそれは、ショックだった。いっぱい泣いて、色んな人に慰めてもらった。

しかし、どこかで「やっぱりか」と思っている自分もいた。というのも、彼と付き合いだした当初から、価値観や性格の違いを感じていたからだ。

私と彼は様々な局面ですれ違って、たった5分の通話で別れが完結した

私は、社会情勢や文学、歴史などを深く知りたいし、語り合いたいと思っていた。一方、彼は常に現在の流行をいち早く察知して、情報を広く浅くアップデートすることを望んでいた。

そんな二人の会話が噛み合うわけはなく、次第に様々な局面ですれ違うようになった。細かい経緯は省くが、最終的に結婚観の相違が決定的な決め手となった。

結婚という関係性を重んじる彼と、婚姻関係よりも生活実態を優先させたい私。1年半続いた私たちの関係は、たった5分の通話で終了した。

彼と別れた一週間後、私はマッチングアプリを始め、新しい出会いの場に赴いていた。自分でも驚く、切り替えの早さである。友達にも、もう新しい人を探しているのかと驚かれた。内心は、正直きつかった。彼以外の人で頭を埋めることで、つらさを紛らわそうとしていたからだ。

人間は、忘れる生き物だ。初めは好き同士で一緒になった者でも、長く一緒にいると相手への好意を忘れてしまうことがある。つらい気持ちも同じだ。別れてしばらくの間は、一日中彼のことを考えて泣いていた。誰かと喋っている間は忘れていても、一人になれば、また彼との思い出が蘇って泣けてくる。

しかし、そんなことを繰り返している内に、片付けなければならない用事があることに気付く。もう何週間も部屋の掃除をしていない。新しい仕事の面接の準備をしていない。切れかけの化粧品の買い出しをしていない…。

「とりあえず、面接の日程確認をしなければ」と思い、スマホで就職サイトを開き、先方からのメッセージを確認する。持ち物は、服装は、面接の注意事項は。確認することは嫌という程あり、一旦面接の件は忘れることにする。

お笑いライブと映画のチケットを買って、私の心は少し軽くなった

スマホを閉じようとすると、とある芸人のライブ告知の記事が目に入った。前々から気になっていた芸人だったが、彼と付き合っていた時はデートにお金を回していたため、ライブを見に行くタイミングがなかった。

普段はドケチな私だが、この時は流れるようにライブチケットの購入手続きを進めていた。購入完了のボタンを押した。私の口座から、3,000円が引き落とされるようだ。そのままの勢いで、映画のチケットも購入した。全然知らない映画だったが、予告編を見て、何となく面白そうな感じがしたのだ。芸人のライブチケットと映画チケット、合計して4,500円。ドケチな私にとっては安い金額ではないが、この金額をはした金だと思う人もいるだろう。

因みに、別れた彼に言わせれば、確実に、はした金だと答えるだろう。薄情だと思われても仕方のない表現だが、私と彼は4,500円の関係だったのだ。このお金に、どのような価値を付けるのかはその人次第だが、このお金で私の心が軽くなったのは事実なのだ。

「愛はお金では買えない」という言葉があるが、この言葉はあながち間違いではないと思っている。4,500円で心が軽くなった私が言っても説得力はないかもしれないが、お金で買える心があることが分かったからこそ、そう思う。

たしかに、お金で買えるモノはたくさんある。心や愛も例外ではない。だけど、思うのだ。お金があったとしたら、私と彼は、今でも一緒にいたのだろうか。お金の価値観が合っていれば、別れずに済んだのだろうか。答えは「ノー」だ。

仮定の話をしたところで意味はないが、いくら楽観的に考えたとしても、私と彼はぶつかっていただろう。そもそも、物事を楽観的に考えることが出来ない私の性格も別れた一因なのだが、僅かに存在する私の中の楽観的思考を総動員しても、結果は同じだった。

1年半付き合ったけど、私たちはお互いに相手をよく知らなかった…

「まあ、もう、しゃーないな」友だちとの電話中に、私の口から出た言葉だ。おそらく、この言葉が一番、現状を表すのに適切な言葉だと思う。私は、可能な限りの最善を尽くした。

彼の方がどうだったかは、私の知る範囲ではないけれど、連絡先さえ消してしまった人の心の内を知ろうとするなんて、それこそ無意味なことだろう。だから、自分を責めることも、相手を責めることも、今の私には必要のない行為なのだ。心を通い合わせようとしない批判ほど、空しいものはないのだから。

彼に感謝するほど、私は度量の大きさは持ち合わせていないが、別に悪人ではなかったことを認識できるくらいの冷静さは取り戻している。良い所も悪い所もある、普通の青年だった。私たちは、お互いのことをよく知らなかった。

だから、私は彼のことを“普通の青年”だと思うのだ。彼自身の人間性は、最後まであまり分からなかった。理解することを拒否している部分もあった。私なりに彼のことを理解しようとして、拒否されたこともあった。彼も私のことが分からなかったのだろうし、私も彼のことが分からなかった。だから、やっぱりこればかりは「しゃーない」ことなのだ。

今の私が考えるべきことは、彼からもらったアクセサリーの処分方法だ。フリマアプリで売るか、中古買取に出すか。フリマアプリだと梱包などの作業が面倒だし、中古買取だと安く見積もられそうだ。せっかくだから、あまり労力を使わず、かつ高く売りたいものだ。