ファーストキスの味がレモンだとか何だとか、それは分からない。まるで思い出せないからだ。まあ、たぶん違ったんだろうなと想像するだけだ。
覚えているのは、ある恋人との最後になったキスが色気のない味だったこと。その日はふたり、買い物をして、食事をして、ライトアップされた観覧車に乗った。唾液の味で、それ以上でも以下でもなかった。

ゴンドラの中で唇を合わせたとき、拒絶されている、と確信した

わたしが目の前のひとに唇を合わせたのは、ゴンドラの中だった。
そして、拒絶されている、と確信した。
顔を離したとき、やめてほしいとも嫌だとも言われなかった。手で押し返されることもなかった。それでいて、額や手の甲に添えられる柔らかな愛情とは別の部位かと錯覚するほど、わたしを弾く唇だった。

明るい夜道で手を繋ぎながら、嫌だった?と聞いた。言い淀む答えを待つ前に、もうしないね、と重ねていた。困ったような笑顔と頷きを確認した。

「好きなんだよ。どう伝えたらいいか分からないけど、本当に好きなの」
そう言ってくれた相手に、それでも別れようと繰り返したのはわたしの我儘だったと思う。
そのひとの愛を信じられなかったというより、湿り気の無い恋愛を保ち続けようとする自分を信じられなかった。彼女を不快にせずに一緒にいられないなら、恋人同士でいなくなる方がマシだった。なるべく嫌いになってくれれば、別れ話もしやすいだろうかとまで考えた。
「でも、やっぱり、信じられない」
主語を避ける狡さに我ながら嫌気がさした。別れたくないと思いながら、彼女には別れてほしいと思っていた。

粘膜を擦り寄せ合う以外にも、愛のかたちがあることは知っている

大事にしたいからふった。わたしにふられて、わたしに大切にされてくれ、と強く願った。食い下がられれば食い下がられるほど、嬉しかったし悲しかった。

粘膜を擦り寄せ合う以外にも愛のかたちがあることは、わたしだって知っている。しかし、知っているだけだった。ひとつひとつ学び、ゆっくり育んでいくには度量が足りない未熟者だった。彼女のからだだから好きだったわけではない、と誓える。それでも、彼女のからだも含めて愛したくてたまらないわたしだった。

今思えばお互いに若すぎたのかもしれない。他に方法があったはずだとも思う。別れるにしたって、もっと彼女を傷つけない伝え方があっただろうとも思う。わたしが安堵したいばっかりの、まるで利己的な別れ話だったと反省している。
一方的に求めて傷ついて、優しくし続ける自信が持てず離れていった。我ながら、なんて酷い女なんだと怒りと呆れがふつふつ湧いてくる。それでも当時は、そんな言い方しか選べなかった。

今も昔も可愛いその人を大切にしたい気持ちは変わっていない

SNSに投稿された、彼女の写真が目に留まった。夫婦が仲睦まじくしているのが察せられる。10年前の浅薄によって今の姿を損わなかったことを、やっと少し自賛する。今も昔も可愛いその人を大切にしたい気持ちは変わっていない。
性愛のない大好きを、ようやく抱えられるようになった。もっと他にとれる手段があったのではないかと思いつつも、後悔の念はさほど大きくない。かつて大好きで、今も大好きなそのひとが幸せそうに見えるからだ。誇りとするにはちっぽけで人目を憚るこの感情を、しかしこれなら果物に例えても良いような気がしている。