タイミングが合わなかった。
ただそれだけ。きっと。たぶん。

私が「2190」を含んだアカウントを使用する理由は、誰も知らない

よく9月12日に「お誕生日おめでとう」と連絡が来る。私の誕生日はその日ではない。所詮その日に連絡をくれる人は私のことをよく知らない人なんだが。そもそもSNSのアカウントに誕生日を使う人が多いなか、この数字を使っている私が悪い。大体の人がなんで2190なの?と聞いてくるが、好きだからとだけ伝える。この数字の意味は私以外。誰も知らない。この先、誰にも教えるつもりはない。

振られたあともこの数字にこだわって。目を合わせては逸らす、そんなことを繰り返していた。甘酸っぱい思い出を大切にしている私は、まだ未練が残っているのだろう。

私が6年間思い続けた彼とは、腐れ縁なのか小中高と同じ学校に通った。12年間のうちの半分の時間、彼が好きだった。そりゃあの数字にもこだわってしまうよな。と開き直ってもしょうがない。そんな彼と最後に話したのは小学校6年の時。それ以来会話はない。今どきSNSで簡単に繋がれるのに、連絡先も知らない。私は告白して振られたあの日から時間が止まっている。向こうにとっては私の告白なんて記憶にないのかもしれない。しかし私にとっては19年間、後にも先にもあの一回だけなんだが。

好きだった当時の彼はもういないけど、あの時の恋心はまだ胸の中に

小学生の時の恋心をハタチを目前にしてもなお持ち続けている私。「初恋は実らない」とよく言うが、実らなかったからこそ美化されていく。そして気持ちがなくなることはない。
ある映画で「好きな人と付き合えずにその人のことを嫌いになれる?」というセリフがあった。
その通りだ。きっと私が好きだった当時の彼はもういない。わかっている。私が覚えている彼との他愛もない会話やふとした仕草。彼は一つも覚えてなんかいない。でも振られたからといって、嫌いになるなんてことはできない。できなかった。それでも一つでもいいから、彼と同じ思い出があったらいいなと願ってしまうのはワガママだろうか。

「まだ彼のことが好きなの?」と聞かれたら、答えは「いいえ」だ。
でも、あの数字に縛られたままいるのは確かで。時間が止まったまま動いてくれない。

タイミングが合わなかっただけ。そう思うのは都合が良すぎだろうか

12年間同じ学校に通ったが、彼にステキな出会いがあったという話を聞いたことがない。通学電車で見かけても、特定の子と一緒にいることはなかった。そういう私も、彼のことが好きだった当時の気持ちを超えるような出会いはなかった。単に情報が入ってこなかっただけかもしれない。いや。私がその情報を遮断していたのかもしれない。あらゆる可能性を考えてみたが、答えは出なかった。

じゃあ、私はなんで振られたのだろう。

たしかに6年間の中で、思いが通じ合っていた瞬間はあったはずで。
彼の友人から「あの時あいつの好きだった人は…」と意味深な言葉を言われたこともあった。

タイミングが合わなかっただけ。
そう思うのは都合が良すぎだろうか。

次、会えるのは成人式。
会えたら聞いてみよう。

ふった理由と、ふられた理由を。