女であることは不利だと、ずっと思っていた。
男尊女卑、男女差別という言葉があるように、今までもこれからも女性である私は、生きづらいと感じることが多いのだろう。そう思ってきた。
私はなるべく「男性と同じように」働きたいと思い、社会に出た
学生時代、クラスの中心にいる子達はみんな可愛かった。女性は、見た目が大事なんだと思った。
母は専業主婦で、父は会社員だった。父は母を呼び捨てで呼ぶが、母が父を呼び捨てで呼んだところを今まで聞いたことがなかった。誰の前でも父のことを「〇〇さん」と呼んだ。
大学の卒業論文では、選択的夫婦別姓制度と伝統的家族観の関連について書いた。私は、今まで女性であることを意外にも、意識して過ごしてきたのだと思う。自分が思うより、ずっと女性である自分が嫌だったのだと思う。大学を卒業したら、私はなるべく男性と同じように働きたい。一生独身だとしても生きていける確信を持ちたい、そう考えて社会に出た。
社会に出ると、今までと全く逆の気持ちになった。心の底から「女に生まれてよかった」と思った。職種のせいかもしれないが、職場は男性が多かった。管理職もほとんどが男性だった。男性同士というのは、恐ろしかった。容赦がなかった。怒られている様子を見て見ぬふりをするのは、胸が痛かった。
そのくせ私の成績の悪さには、直接言及することはなく、メールなどで遠回しに「生産性がない」「価値がない」などと言われた。文面よりも直接言葉で殴られる方が、よっぽど痛いということはわかっていた。言葉は暴力だった。
クレームの電話を受けるのは、いつまでたっても慣れなかった。ガーンと頭を殴られたようだった。頭の中心にいつだって、直接切り込まれた。心はもうベコベコに潰れて、たまに本当に動いているのか心配になった。
男でも女でも平等に傷つく。そこに「性別」は関係ないと思う
男でも女でも平等に傷つく。女には優しく、男には厳しくしてもいい、男の方が精神的に強い、女はすぐに泣くと。どうしてそんなことが言えるんだろう。傷つきやすい人もいれば、心の強い人もいる。それは性別とは、関係ないと私は思う。
平等であることは難しい。どうしても理不尽なことはある。でも、片方だけがつらいということもまたないのだと思う。
先に述べた両親の話には、続きがある。父は母を呼び捨てにし、母は父を絶対に呼び捨てでは呼ばない。でも、単身赴任の父は毎週末実家に帰り、母を気遣う。母の誕生日には、必ずプレゼントをする。子育てには一切口を出さず、私は父に怒られた記憶がない。
一方、母は何かを買う時、必ず父に確認をする。いつだって、一歩後ろにいる。私に「父みたいな人と結婚しなさい」と言う。男は外で働き、女は家を守る。両親は一見、一昔前の夫婦に見える。
でも、父は家のことをする母を、母はお金を稼ぐ父を、互いに想いやっていると思う。お互いの役割をきちんと理解し、尊敬して、補い合っていると思う。
男が、女が、ではなく、得意な人が得意なことをすればいい。誰かにとって苦手なことは、誰かにとって得意なのだから。子育てを男がやったっていい。女が大工をしたっていい。男が泣いたっていいし、女が泣いたっていい。ファッションだって、もっと自由でいい。ピンクは男が身につけたって、女が身に着けたって可愛い。
社会には見えない縛りがいっぱいあるが、自分の声を発信していこう
社会には見えない縛りが、いっぱいあって落ち着かない。会社で、男性の営業マンだけが髪色を問われる理由が、私にはちっとも分からなかった。
綺麗な平等の世界は望んでいない。乱脈でいいから、自由で互いを認め合える社会になったら、とても息がしやすいと思う。そんな社会になればいいのにな、いや、していこうという決意の第一歩がこの投稿である。
自分の内側の声を外側に出してみる。発信してみることも、きっと社会を変えることに繋がる。そして、ほかの人の意見も、様々な世代の様々な社会で生きる人たちの声も聞きたい。たくさんの、その人の持つ正解の考え方を聞ける社会も、また私の望む社会だから。