タイムマシンで未来に行きたいなぁと最近ふと思う。

そんな時は、大抵何か行き詰った時。ほんの数ヶ月先でも先が見えたら、もっと生きやすいのになぁ。

30歳という「人生の節目」を目の前にすると、何かと考えてしまう

きっと未来のネコ型ロボットがいたら何とかしてくれそうな気もするけれど、残念ながら私の隣にいるのはネコの動画を観ながら「かわいー!ネコ飼おう!」とジタバタする男しかいない。この男の未来は何となく想像出来る。今日も平和で何より、と呆れつつ「飼わない」と一言返す。

何の根拠もないのに「30歳までに結婚!」と意気込み、恋活というより婚活に励んだ20代前半。そして20代後半でやってきた結婚ラッシュ。

活動に励んだ甲斐あってか、その波に乗った私の嫁ぎ先は、ほぼ実家といっても過言ではない見慣れた田舎。住めば都どころか、故郷だ。そして、30歳までに結婚を達成したら今度は、「30歳までに一人目を産んだほうが良い」と実家の祖母に言われるのである。

そこにも何の根拠もない。あるのは、この土地でのこれまでの経験なのだろう。

10、20、30とキリの良い数字は、何かと節目になりやすい。人生の節目を目の前にすると、何かと考えてしまうものだ。

私の夫も、自分が出産するわけではないのに「30歳までに一人目が欲しい」とか言っている。そして、かつて一緒に学んで成人式を迎えた友人達は、母親になったり、キャリアアップしたりと各々の人生を歩んでいる。私も結婚したし、夢だったマイホームは家族が増える事を前提に建てた。

自分の将来が見えずに「ぼんやりとした不安」を抱えて生きている

私だって、着々とオンリーワンの人生を歩んでいるはずなのに、友人達の人生が霧となって私の前に現れる。その霧の先にもっと違う人生の道をあるのではないか、と期待さえ抱かせるのだ。

高校生の時に、芥川龍之介が“ぼんやりとした不安”を理由に自殺した、と習った事を思い出す。当時はよく分からなかったけれど、今なら何となく分かる気がする。当たり前のように結婚や出産を考えてきたけれど、こうして私の人生は終わっていくのだろうか。

今、この時間しか生きられない現実は、全人類みな同じだ。タイムマシンでも出来ない限り、過去にも未来にも行けない。自分の将来が見えないのも同じ。皆、ぼんやりとした不安を抱えて生きている。

けれど、同じなようで同じじゃない。自分と同じ人間はいないから。だからこそ、比べたって良いのだと思う。それで自分の人生を考えられるのなら。周りと同じように結婚や出産を選択しなくても良いのだろう。

少子高齢化とか年金とか、いろんな社会問題はあるけれど、子どもを産んだから解決できるとは限らない。自分なりに出来る形で貢献できることはたくさんあるはずだ。時には流れに身を任せたって良い。自分がどうしたいか分からない時だってあるのだから。

「○○だから」とかじゃなく、今を生きているのはたった一人の自分だ

私には、取り立てて地位も名誉もない。ただの一般人だ。社会を変えるような大きな力もなく、時代や技術の進化にあやかって生きていく身だ。

しかし、その進化のおかげで私のような一般人でも、こうして拙いながら言葉にして発信する事ができる。うまく伝えられるかどうかは分からないけれど、伝えないと意味は生まれない。

女だから、男だから、三十路だからとかじゃなく、今を生きているのはたった一人の自分だから。あわよくば私の言葉で、誰かの重荷を少しでも軽く出来たら良いなぁ、とそんな細やかな願いを込めながら今日も言葉を紡ぐ。