私は自分を男勝りな方、だと思っている。
いわゆる女の子な雰囲気の女の子に、私はなれなかった。
しかし性別は生物的には女性なので、服装などの見た目はどうあれ、性格の骨の方は、自分でも「女だなぁーー」と思うくらいは女だ。
もともとそういう男勝りな節はあったが、決定的に振り切ったきっかけがあった。
中学時代に受けたいじめである。
仲良しグループ全員が敵になった瞬間、男勝りな私は「飾らない私」に
私は随分大人数のグループに属していた時期があった。8人は、いたのではないか。
今考えると、それだけの人数がいれば揉めるのは当たり前だ。
グループ内にも特別仲のいい何人と何人のグループがあるという大型グループ。
しかし、それだけの強い味方だった人たちが一気に敵になったあの瞬間。
私はその小さな社会の中で、世界の終わりに叩き落とされたのである。
そのことがあるまでは、男勝りな自分を「生きる術」として使っていた、という言い方が正しいと思う。
そういう自分でいることで異常なテンションに無理なく合わせられたし、自分の疎い服装やメイクの部分をはぐらかすことができた。
しかし、全員から無視を食らったあの日あの瞬間、感づいてはいたけど曖昧にしていた、私の中の女子社会の脆さと不信さに決定打が打たれたのだった。
「生きる術」として私の中に君臨していた男勝りな私は「飾らない私」として改めて中に入ってきた。そんな気がした。
つまり私は、大概のことがない限り大きな声では話さないし、あの子が制服をそうやって着崩すから可愛いとかイケてるとかってことは、本当は心底どうでもよかったのだ。
過去の私や支えてくれた友達がいたから、最強の武器を見つけられた
「飾らない私」でいることが一番最強の武器であり、見せ方と見られ方に矛盾がなく、ややこしいことが起きにくい。
それに気づけたこの事件は、私の人生の中に強く刻まれたし、お礼を言うではお釣りがくるくらい良い経験だったと、今となっては言える。
とはいえ、いじめの渦中にいたときは本当にきつく、辛かったし、それなりに悩んでもいたし、泣いたこともあった。
その辛い気持ちを請け負ってくれた過去の私がいたからこその、最強の武器だ。
更に、そのときの私を支えてくれた友達がいてこその今の私だ。
今の私になっても悩みは尽きないのが正直なところで、冒頭でも言ったように、どんなに男勝りでも私はまぎれもない女だ。
ネチネチした部分やドロドロした部分を自分の中に見つけては嫌気がさす。
昔一度、女っぽいことで悩む自分が嫌すぎて、長い髪をその場で切り落としたこともある。
これは今となってはさすがにやりすぎだ。と、自分でも思う(笑)。
今も昔も大切なのは私自身の中身。大切に磨いて、強くしたい
自分のことをこれぐらい客観的に見られるようになった今でも、定期的に女な自分に頭を抱えることがある。
それでも、それも含めて「飾らない私」だと認めるようになれたのは、ごく最近だ。
実際、「男勝り」という意味で外側から見ると、昔の私と、今の私はほとんど変わりなかったかもしれない。
でも重要なのは私自身の中身である。外見はただの記号や合図や表現にすぎない。
これは今も昔も変わらない大切な事実だ。自分が納得しているかどうか、これに尽きると思う。
きっとその辛かった時期のおかげで、それと戦い乗り越えるために私の中から現れた、最強の武器。
誰しもがそれを持っていると思うし、それを手にすることからが人生なんじゃないかと、私は思っている。
最強の武器を見つけて、それを磨いていくこと、更に強くすること。
それを振り回したり、ぶつけたりするのではなくって、いざというときまで使わないこと、大切だと思える人ができたときに少しだけ自慢すること。
「かっこいいな」と言ってもらえたり、「一緒だね」と言ってもらえるときが来たら、私が昔から磨いた見られ方が身を結ぶのかなと、思っている。