『死にたい』

人は人生の中で一度は何かに絶望し、死に対して救いだと考えることがあると私は思う。

楽になりたい。そう考えた時、私はヒーローと出会った

私が死んで救われたいと願ったのは、人生始まったばかりの小学生の頃だ。
現代に似つかないハードないじめだった。クラスのほぼ全員から無視され靴を隠され、私のことはみんな〈売春〉と呼んだ。小学生なのにそんな言葉を知ってる事に今更ながら驚いている。
親の前でも同じことをするから親も知っていて、私が寝室に行った後、リビングで泣いている声を聞いた。それが一番辛かった。

小学生の小さな脳味噌でどうすれば楽になるのか考えた結果が、死ぬ事だった。
そこからの行動力は凄まじく、パソコンだと家の人に見つかるからとゲーム機のネット機能で何度も楽になれる方法を探した。少しでも早く敵から逃げたかったのだ。

そんな時私は、ヒーローと出会ったのだ。

たった一人が認めてくれた。それだけで、生きるには十分だった

他のクラスのその子は他の女の子と少し違くて、自分に正直な子だった。
家が近いからという理由で話すようになり、遊ぶようになった。当然いじめっ子たちは面白くなかったのだろう、その子を仲間に入れようと私の近くで聞こえるようにわざと大きく言う。
『××××(私の名前)ってうざくない?』

私の仲良くなりたい人を奪う悪魔の呪文だ。きっとこの言葉には〈お前はどっちの味方だ?〉という意味が込められている。
あーあ、仲良くなれたのに離れていってしまうだろう、誰だって次のターゲットにはなりたくないのだから。そんなことを考えてたら、

『別に?』

教室がシーンとなる。その後いじめっ子たちが何か言っていたが、正直覚えていない。驚きと否定してくれた嬉しさでいっぱいだった。身内以外で私を認めてもらえたような気がした。友達と呼びたい子ができたそれだけで、今生きるには十分だった。
この日からヒーローは前よりも一緒に居てくれるようになった。

あの子がいたから、私は今日も生きている。大切な君へ

私のヒーローは全然ヒーローっぽくない。力が強くて凶暴だし、うるさいし、おバカだ。
だけど一緒にいる時間は楽しくて楽しくて、とてもキラキラしていた。小学五年生にして初めて気を遣わないでいられて、隣にいて心地良い友達ができた。
中学でも三年間一緒に居て、高校は離れたが年に三回は遊び、社会人になった今も年に数回会ってはバカ笑いしている。相談したり、されたり何の為にもならない話を何時間もして、今は親友としてすぐそばにいる。

救われた日から十年経った今でも、私があの時の君にどれだけ救われたかを伝えたことはない。本人は救ったつもりなんてなく、気づいたら一緒に居たなんて言うもんだから、私の中でまだ大切にしまっておくことにしたのだ。
いつか君といつもよりも深い話をする時は、何年も大切にしまっているありがとうの気持ちを伝えようと思うんだ。

そんな話をしたら君はきっと、
『なんだよ~気持ち悪いな~』
ってちょっとニヤニヤしながら言うんだろうな、なんて考えている。
そして、君がいつか死を救いだと思う日が来たら、今度は私が必ず別の方法で救うと決めた。

フィクションのようで現実な私のあの人の話。
あの子がいたから、私は今日も生きている。