別に私はそこまで聞き分けの悪い子でも素行の悪い子でもなかったつもりだけれど、子供の頃はよく母に怒られていた。ごもっともだなと思うこともあれば、何故怒られているのか理由がわからないこともあった。憂さ晴らしに私に当たっているのではないかと思うこともあった。まあ子供時代なんて、みんなそんなものだろう。
ただ振り返ってみると、お叱り程度のものなら頻繁に受けたけれど、怒鳴られることは片手で数える程しかなかったように思う。そのうちの一回は雨の日だった。

厳しい家庭で育った私が雨の日に禁じられていた裏道に探検へ

あれは小学校低学年の時の話だ。
私は一人っ子で両親にはとても大事に育てられてきたから、そのぶん周りの子よりも門限などが厳しかった。友達は空が暗くなってもまだ遊べるのに私は帰らなければいけない。心配ゆえだとは分かっていたけれど、当時はとにかく窮屈に感じていた。
友達と遊べない寂しさもあったし、それよりも、誰より先に「帰る」と言い出すことが何となく気まずくて、嫌われてしまうような気がして少し怖かったのだ。

雨が降っていたその日は、同じクラスで友達になれた女の子と一緒に帰っていた。
お互い低学年だったからそこまで個性は強くないけれど、確かに私とその子は雰囲気が違っていて、そんな彼女と少しでも近づけたような気がして嬉しかったような記憶がある。
彼女とは家がそこまで近くはなかったのだが、彼女の帰り道にあわせて私も帰り、その途中で裏道に入り込んだ。
裏道というか、私や私の両親があまり知らない道のことなのだが、人通りが少なかったので歩かないように言われていた。ややおてんばだった彼女に付き合い帰るのが遅れていて、心配されているだろうと分かってはいたが、なんとなくそこで断るのも気が引けたので一緒に着いて行った。

モノクロの世界には不安と恐怖が色濃く染み付いていた

その後のことは覚えていない。覚えているのは家に帰ってしこたま怒られた記憶だけだ。
心配した母が迎えに来てくれたんだっけ。とにかく、あれからどうやって私が家に帰ったのかは全く覚えていなかった。それ以上にめちゃくちゃに怒られた記憶で全て塗り替えられてしまっているからだ。
あの時は酷く怒られた。母はとても大きい声で私を怒鳴った。どんなことを私に言ったかはあまり覚えていないけれど、怖かったことと投げられたティッシュの箱が潰れてぐちゃぐちゃになっていた光景しか思い出せない。
その時の家の中は電気も付けられず薄暗かったから、雨が降っていたことにやはり間違いはないと思う。

怒られた内容は覚えていないけれど、その一連の記憶を私が『怖い』と認識しているのは、その時母に「私と私の友達を陰から覗き付け回っていた男がいた」と言っていたからだ。
もしかしたら誘拐されていたかもしれないんだよ、と。それがとても怖くて忘れられなかった。母が私を見つけ迎えに来ていなければ、私は二度と家に帰ることもなかったのかもしれない。
ただ、友達と一緒に帰りたかっただけなのに。友達を失いたくないだけだったのに。

母が怒る際にティッシュの箱に八つ当たりして投げるのは、私を傷つけないためだと言っていた。ひしゃげたティッシュの箱を見たのは確かそれが最後だった気がする。あのティッシュ箱と一緒に、母は抱えた不安や恐怖も投げて捨てていたのかもしれない。
あの時私は悪いことをしてしまった。母にも、あのティッシュ箱にも。

あの日友達と歩いた帰り道と、母とティッシュの箱が視界に映る家の中の景色が白黒写真のように灰色なのは、きっと雨で空が曇っていたせい。