お父さん、本当はずっと謝りたかったことがあるの。
昔お母さんが買ってきてくれたドーナツ、お父さんが先に食べてるの見て、「それ食べようと思ってたのに!」って責めてごめんね。
後から覗いたら、私の好きなチョコレートも生クリームの入ったやつも全部よけてくれてたのにね。

それと、塾からの帰り道、いつも心配してわざわざ迎えにきてくれてたのに、迷惑そうに返事もせず不貞腐れてごめんね。
緑色の自転車をばつが悪そうな顔で押す横顔と、カラカラ回る錆びた車輪の音を、今もあの道を通る度に思い出すよ。

ずっと愛してくれると勝手に思っていた父。生きた気配だけを残して…

あの日、待ってるねって言ってくれたのに、お見舞いに行けなかったこともごめんね。
ひとりでお父さんに会いに行く勇気が出なかった。こんなに後悔するなんて思わなかった。あのまっしろい病室でなにもない空を眺めながら、お父さんはどんな一分一秒を過ごしていたんだろう。明日のことをどんなふうに思っていたんだろう。

お父さん、私、こんなのでごめんね。
せっかく大事に育ててくれたのに、ちゃんと愛してくれてたのに、応えられないことの方が多くて、可愛くなくて、出来も悪くて、なんにも凄くなれなくて。
大人になっても仕事だっていまひとつだし、良い年して結婚する気配もない。大切にするって約束したお母さんにも、心配かけてばっかりで、なにひとつ立派になれない。

お父さん、いまだに仏壇に手を合わせられなくてごめんね。
本当にごめんね。

悼む心がないわけじゃないんだよ。
でもあの日の自分に巻き戻ったら動けなくなりそうなの。
鉄工所の油のにおいが染み込んだ、皮膚の分厚いてのひらとか。ぼろぼろになったオレンジ色のナイロンジャケットとか。声とか、たいしておもしろくないジョークとか。犬と遊んでる時に見せたひっそりした笑い方とか。真夜中に鎮痛剤を流し込んでるときの骨みたいな背中とか。モルヒネのタンクぶら下げた細すぎる腰とか。頭撫でてくれたときの顔とか。

いまだにまともに思い出すと立ち止まりそうになるよ。苦しくて悲しいんだよ。
あれは十六歳の秋だった。誰よりもすこやかだったはずの父は、生きた気配だけを残してあっけなく逝ってしまった。
そっちはどんなところですか。
生き切れば、また逢えるんですか。

けれども一生埋まりそうもないこの風穴こそが、私が確かに愛されていた確たる証拠であり、今の私の骨組みになっているのだと思う。
姿形を失った父を、私の記憶は何度も甦らせようとする。教えを、しるべを乞おうとする。
神さまみたいだね、って思って笑った。
お父さんは神さまで、目印みたいな人だ。
ぐちゃぐちゃになる度、私は思う。こんな自分を見られたら、お父さんならなんて言うのかな。許してくれるのかな。怒るのかな。

間違いようもなく私のヒーローだったお父さん。かっこいい生き様をありがとう

お父さん、あのね。聞いてほしい話がいっぱいあるんだよ。
ひどいことたくさん言ったけど、足の小指一本になっても生きてて欲しかったなんて、きっと都合よすぎるよね。
お父さん、私、本当にちゃんと生きていけるのかなあ。

そういえば、明日は久しぶりに実家に帰るよ。お父さんの誕生日だから。多分晩ごはんはお父さんの好きなまぐろときつねうどんだし、私はケーキを買うつもり。もうなんでも自由に食べられるんでしょ。死ぬほどうどん食べたらいいよ。好きだったもんね。
お父さん。

最後まで生きたいって言ってくれてありがとう。こどもだった私の前で、闘い続けてくれてありがとう。「まだ奇跡を信じてる」って、その一日前まで言い続けてくれてありがとう。その強さと優しさにどれほど救われたか、知らないかもしれないけど。
お父さんは、間違いようもなく私のヒーローだった。

ありがとう。ほんと、かっこよかったよ。