私は父に似ているらしい。
見た目もそうだが、それよりも内面的な部分で似ているらしい。

「無駄してはいけない」父の言葉に影響を受けた私は、無駄大嫌いだ

父は、幼いころから私の祖父からたくさん勉強することを強いられて、遊びたくても遊ぶことができなかったそうだ。それは、中学受験で偏差値の高い中学に入学するためだった。
私は、父と同じで中学受験をした。でも私は誰かに強制されたわけではない。ただただ勉強が好きで、私立中学でよりたくさん勉強したいと思ったからだ。

私の成績は第一志望合格には全然届かず、毎日時間をいかに有効活用するか、無駄遣いしないようにするかが課題だった。人と同じことをやっていたら確実に間に合わない。もう入試本番まで時間もない。だからいつも急いでいた。いかに効率よく勉強するかを常に考えていた。

だから無駄が大嫌いだった。「みんなと同じじゃダメなんだ。無駄してはいけない。」と父もいつも言っていた。父も私を志望校に入れたい一心で必死だった。
だからその影響を受けたのか、私はこんな風に思うようになった。
友達と話しながらゆっくり帰宅することも時間の無駄。
修学旅行で夜更かしすることも時間の無駄。
受験に関係のない科目の授業を聞くことも時間の無駄。
小学校での時間のほとんどが、当時の自分には無駄に思えてならなかった。

今思うと、あの時は必死だったから仕方がない。でもそれが10年経った今でも体にしっかりと染みついているとは思いもしなかった。

パニック障害を発症した私に「焦らなくていい」と父は言った

休日、何もすることがないと、もったいない時間を過ごしていると思ってしまって自己嫌悪に襲われる。休日疲れて長い時間寝てしまったときには、時間を無駄にしてしまったなととてつもない後悔に苛まれる。

何か、自分の今後の人生のためになることをしていないと、なにか時間を無駄にしているような気がしてならないのだ。

そういう資質が原因なのか、私は中学の時にパニック障害を発症、大学時代にはうつを発症した。うつは完治したが、パニック障害については現在も治療を継続している。以前と比較したら、パニック障害の症状も和らいできている。

私の父は、私がこのようになってしまったことは、自分の影響を強く受けてしまったからではないかと思っているようである。父いわく、今の私は昔の父にとても似ているらしい。

父は経験則から、今まで焦って私のように行動してきたけれど、身についたことは何一つなかったという。父は最近私にこんなことをいう。

「もう焦らなくていいんだよ。寝ることは悪じゃない。」
私の心には前半部分が特に強く響いた。
「焦らなくていい。自分のペースでいいんだよ。」
自分で自分に言い聞かせている。スマホのメモにも、いつでもこの言葉を見られるように書き記して、見返している。

ゆっくりと吸収しながら焦らずに生きていく。父に伝えたい想い

私の趣味は読書。私は本を読むのも急ぎがちだ。なるべく早く読み終わって、新しい本から新しい知識をどんどん吸収したい、そんな気持ちが人よりも強い気がする。

いつ何時も焦っている。自分ではそんな風には思っていないのだけど。
きっと自分は成功体験が人よりも少ないのか、自分に自信がないからなのか、自己肯定感が人に比べて低いのである。

だからこそ、人より頑張らなければ!結果を出さなければ!そう意気込んでしまう。
そうしなければ学歴もない、人より優れた得意分野もない自分には価値がないような気がしてしまう。

そして頑張れず、結果を思うように出せない自分を自分で苦しめてしまうのだ。
今の自分がいるのは過去の自分がいるからで、過去の自分に影響を与えたのは父かもしれない。

でも、私は父が教養があって、人一倍勉強する努力家で、本を読みちぎっている姿を昔も今も見ている。そんな姿を見てよい影響をもらっている。
だから私も焦らずにゆっくりと吸収しながら人生を生きていくから、父にも何も悪くない、自分を責めないでほしい。

これからは、父にもゆっくり自分の時間を楽しんでほしい。そしてここまで育ててくれて本当にありがとうと伝えたい。