2018年9月、私は初めての仕事を辞めた。
CMの製作をしていた私は、それなりのストレスに見舞われながら、それなりに楽しくやっていたつもりだった。
直属の上司には好かれなかったが、上の方の人には好かれていて、うまくやれていると思っていた。毎日終電が終わってからタクシーで帰り、朝メイクをしながら鏡でやつれた自分の姿を見ては涙が止まらなくなっても、うまくやれていると信じていた。

それでも、私は仕事をやめた。
建前としては、もっとやりたいことを見つけたということになっている。今は、定時でしっかり終わる、大好きな映画に携わる仕事をしている。お給料は減ったけど、やめて本当に良かったと思っている。

私は母から、姉兄ほど愛されていなかった。愛され方が少し違ったのだ

私が実は父に伝えたいことは、私が仕事をやめるきっかけをくれたのは、本当は父が言った一言だったということ。私が何か人生で大きな決断をする時は、いつも父がきっかけだったということ。

父の話をする前に母の話をしなければならない。
母は、とても好き嫌いの激しい人で、それは食事を見てもすぐわかる。
例えば生のトマトは好きじゃないけど、煮込んだトマトは好き。食べられないわけではないけど、嫌いだから食べたくない。そんな人だった。

母は、姉と兄を溺愛していた。
姉は勉強もスポーツもできる、典型的な親のいいところを持って生まれた人だった。そんな姉を母は自分の最高傑作だと思っていた。
兄は、人を惹きつける天才だった。誰とでも仲良くなれる人で、人を選んで仲良くなるような母から見ればそれだけで才能だった。
兄と姉と比べると、私は少しおっとりしていた。スポーツも勉強も中の上。性格は少し内気。好きなものは漫画と絵を描くこと。
そんな私は、母と性格が似ていたこともあり、同族嫌悪なのか、母から姉兄ほど愛されていないと感じていた。きっと愛されていたのだが、愛され方が少し違ったのだ。

「君は面白いよ」と言ってくれた父。涙が出そうなほど嬉しかった

私は程なくして、姉と兄と自分を比べるようになった。色とりどりの家族の中で、自分は才能もなく、ひどく平凡に見えた。

そんな私を、自分を好きになれるようにしてくれたのは、父だった。
私が思春期で色々と思い悩んでいる時、父は私に「君は面白いよ」と言った。
それは、私がお笑いのセンスがあるとかそういうことではなく、人として面白いという一言だった。
どういう状況で言われたのかは、思い出せないが、その一言が、涙が出そうになるほど嬉しかったのを覚えている。

それから私は自分が面白い、更には父が面白いと思うであろう方向へ進もうと決めた。
大学は、思い切って海外の大学へ進学し、映画学部という映画を歴史財産として研究する珍しい学科へ進んだ。

就職は、親は好きなことをやりなさいと言ってくれていたが、世間体を気にして一度は映像関係の一般企業に就職した。そこで、最初に言った通り、ボロボロになっていった。
好きでもない仕事で酷くやつれいていく自分は、上手に社会人をやれていると信じていた。

いつも必要な言葉をくれる父。ずっとずっと長生きしてほしい

そんな思い上がりから救ってくれたのは、また父だった。
ある日、父と母とご飯を食べている時、父に「今の君、すっごいブサイクだよ」と言われた。
衝撃だった。
父はいつも私を可愛い可愛いと言ってくれていた。
そんな父が私をブサイクと言った。

それは、きっとやつれてボロボロになっているからではなくて、私の心に余裕がないことを父が見抜いていたからだと思う。私の性格がブサイクになっていたのだ。

その一言のおかげで、私は意を決して仕事をやめた。
やめて本当に良かった。

私が父に伝えたいことは、いつも必要な言葉をくれてありがとうということ。
実はきっと父が思っているよりも私は父が大好きだということ。
ずっとずっと長生きしてほしいということ。
そんなようなことをいつか本人に言ってみたいということ。