父がグアムで結婚式を挙げた。もう4年以上前だけれど、相手は私と年の変わらない女性だった。当時、母や私、妹は何も知らされていなかったけれど、父方の親戚は招待されていたそうだ。

でも、ギリギリになってお金が足りないことに気づいて、双方の両親しか呼べなくなり、叔母が「グアム楽しみにしてたのに」と愚痴っていた。なんとも父らしいなと思った。
昔から父はプライドが高いわりに、行動が伴わない人なのだ。

父親というよりはやんちゃな青年。記憶の中の父はいつも後ろ姿だ

父が20歳の時、4歳上の母との間に私が生まれた。
当時、父は若かった。ゲーセンに行けば財布を盗まれても気づかないほど熱中するし、機嫌が悪い時にパトカーを蹴って警察に補導されたり(アホやん)。

私が4歳くらいの時、家族で外出して帰宅した際、尿意が限界だった私を父が押しのけてトイレへ駆け込み、私は号泣しながら廊下に放尿した。“父親”が子供を押しのけるか?と今でも疑問に思う。父親というよりは、やんちゃな若い青年だった。

時折、遊びに連れて行ってもらった記憶はあるが、母のように私を抱きしめたり、可愛がられたような記憶はない。私と同じ目線で話し、居心地が悪いと怒鳴る。私が思い出す父の背中は、セブンスターをふかしながらPCゲームに熱中する後ろ姿だ。

私が中学生の頃、父が35歳くらいの時、両親は離婚した。
寂しさは一切なく、開放感すら感じていた。きっと母もそうだったと思う。
それは父も同じだったようで、離婚後の父はまるで本当の自分の人生が始まったかのように楽しんでいた。

学費を出してくれなかった父。お金がないのではなくゲームが大事だった

養育費は渋ったのに、マンションを購入したというので遊びに行くと、真ん中にダブルベッドがどーん、お洒落な家具に、間接照明、レコードまであって。
当時は特に何も思わなかったが、今ならはっきりと「ヤリ部屋やんけ!」と言える。
しかしせっかく購入したマンション(辺鄙な場所にあって不便)も、今では人に貸しているそうだ。

私が大学へ進学するとき「大学なんか行かなくていい」「学歴は高校までで十分」と言って、父は学費を一切出さなかった(高校入学の時も出さなかったけれど)。父は離婚後、ジムに通い、ポ〇モンGOでピ〇チュウが出るまで課金していた。お金がないわけではなく、父にとっては私よりピ〇チュウの方が大事だったというだけだ。
母ががむしゃらに働き学費などを支払ってくれたので、この頃から父に対して強い嫌悪感を感じるようになった。

父と絶縁したのは、私の上京がきっかけだった。
「お前が困ったら、俺が金を出して助けてやる」と親戚の前で豪語していたので、東京で就職が決まっていた私は、父に上京費用を出してくれないかとお願いした。

すると、「上京して数年頑張ったら金をやる」とのこと(困ってる時に助けてくれるんちゃうんかい)。
この時、私の中で父の存在は、嫌悪感を通り越し、「無」になった。
父と繋がりうるすべてのSNSやメッセージ機能、電話番号を拒否設定にし、それ以降、父とは連絡を取っていない。

「あの時のお金を振り込みたい」。もう放っておいてくれませんか

最近、そんな父から妹を通して連絡が来た。
「あの時のお金を振り込みたい」と言ってきたのだ。私はもう上京4年目である。今更過ぎて、何のことか理解するのに時間がかかった。

父のことだ、受け取ってしまえば、一生「俺はお前を助けた」と言い続けるに違いない。
よくよく考えてみれば、父は自営業で小さな飲食店を営んでいるので、コロナ禍の影響で給付金が支給され、今まで以上に余裕が出たのだろう(推測だけど)。

父に伝えたい。私が生まれた事はなかったことにしても良いから、放っておいてくれませんか。遠くで幸せに暮らして天寿を全うして。私はこれからも父とは遠い場所で元気に暮らしていきます。

血縁関係は、思っているよりもあっけない。いわゆる家族の“絆”と呼ばれるようなものは、血のつながり関係なく、お互いを思い合うなかで生まれるのかもしれない。“血が繋がっている”ことに運命や奇跡をこじつけなくてもいい。私はそう思う。