成熟するには優しさと勇気が必須らしい。

私は28歳で、今は仕事を休職中。7月に誕生日が来て29歳になる。今年が最後の20代。あっという間だった。

高校生の頃から、謙虚に、目立たず、優しさだけを取り柄に生きてきた

自分史を振り返れば、高校生あたりから自分の取り柄は優しさだと思って生きてきた。大学生のときも、働き始めてからも。

かわいくないし、飛び抜けて勉強できるわけでもない、何か特技があるわけでもなし、ただただ謙虚に、目立たず、優しさだけを取り柄に生きてきた。

いま思えば無条件に優しさを振りまくことで、自動的に相手に借りを作らせていたんだろう。先手で優しさを与えれば、なにもしてこないはずだから。自分はどうやらこんな感じでなんとか生きてきたらしい。

でも成熟するって優しさだけじゃだめみたい。本に書いてあったし、働き始めて優しいだけじゃやってけないことを知った。

優しさだけが取り柄のわたしは今、アイデンティティがとてつもなくぐらついている。

大学生の時もあった。どうあることが正解なのかわからなくなったこと。あれから10年くらい経って再燃。たまったもんじゃない。

大学生という青年期にアイデンティティ(人格)が不安定になることは教育心理学か何かで学んだけど、成人になってもまだやってくるか。
それ、きいてないな。

1人で作業をして気付いた。私は誰ともなにも築いてこなかったんだ

22、23歳の働き始めは若さや未熟さから、無条件に周りに人が集まり、可愛がってもらえていた。だけなのに「自分ってこれでいいんだ!やっぱりそうだったんだ!人生順調!」って歪んだ自己肯定感がぐんぐん高くなっていた気がする。

28歳。仕事では会議の司会も増えたし、間を取り持つ調整役も増えた。周りに人が集まるなんてことはめっきり減った。でもまぁとりあえず何事に対しても波風立てないようにとニコニコ笑って、いいですねって、なんでもさせてくださいって、優しさ振り撒いて仕事してたら心がどっかいった。

右にも左にも寄らずに生きてきたから、何にも誰も残ってなかった。

仕事で会場設営してるときに、1人ポツンと作業してる自分に気付いてしまったことがトドメの一撃だった。周りの人はコミュニケーションをとりながら作業してたもんだから、孤独が心を直撃した。

ワタシ、6年も働いてて誰ともなにも築いてこなかったんだ。そっか、ずっとそうだったんだ。

優しいだけじゃダメみたい。わがまま言える人間になっておくんだった

なんの意見もない、考えもない。好きとか嫌いとか、みんながいいならそれでよかった。

こんなことになるんだったら、少しくらいわがまま言える人間になっておくんだった。
小学校の時に習ったのに。人に優しくすれば、幸せになれるって。それだけあれば順調に生きていけるんじゃないの。優しさは正義じゃないの。クラスにいたわがままな男の子は、ちゃんと嫌われていた。途中までは順調に生きてけたのに。

ずっとこのルールで生きてきたから、よっぽどのことがない限り変えられない。こんなところで方向転換できない、どうしたらいいかわからない。

どうしよう、優しいだけじゃだめみたい。
きっと、勇気を持って少し優しさを捨てられたとき、やっとワタシは成熟できるんだろう。