父について、ほとんど記憶が無い。
私が小学6年生のときに亡くなってしまった。
父についてもっと深く覚えていたかったけれど、小学生のころの記憶ってなぜだろう、絶望的に覚えてない。いったい他の人は過去をどのくらい鮮明に覚えているのだろう。
父についてあまり記憶がないのは、辛さを忘れるためかもしれない
強く覚えているのは、私が悪ふざけをしたのか、初めて蹴られて相当痛かったことだ。なぜあの時蹴られたのか、全く思い出せないけれど。
あと、覚えていることと言えば、喫煙者だったこと、テレビドラマで喧嘩シーンになるとチャンネルを変えられたこと、魚料理を好んで食べていたこと、旅行に頻繁に連れていってくれたこと(どこで何をしたかはあまり覚えていない)かな。
子どもの頃は、父がいなくなるなんて考えていないし、日々を覚えておこうと思って過ごしていないから記憶に残っていないのだろう。
あるいは、父が亡くなったことは、子どもながらに辛かったために、記憶から無くなったのかもしれない。
ただ、父がいなくて不幸な人生では決してなかった。
人に父のことを話すと、心配されたり、触れてはいけないものに触れてしまったような感じになることがあるけど、全然気にしないでいいのにと思う。「大丈夫」と人に言うと、内心は辛いのに気丈にふるまっているように聞こえてしまっているようで、難しかった。
本当に私は大丈夫だった。もっと不幸そうにした方が良いのかと悩んだほどだ。
父がいない人生の方が長くなった今、父の素敵なところを発見した
今や父がいない人生のほうが長く、いないからこそ今の生活があって、楽しくやっている。もし父が普通に生きていて、今の私を見たら、そんなんで大丈夫か?と心配されて鬱陶しかったかもしれない。いがみ合っていたかもしれない。
もし、いま父が生きていたら、どんな考え方をする人なのか知りたい。
子どもの頃は、父は「父親」をしていたし、私もそう見ていたから、父の人間性を知らない。大人になった今、「人間」としての父と話してみたい。仕事のこととか、世間のニュースとか。好きな芸能人とか。父の遺伝なのか、お酒が好きだから一緒に飲んで大人な話がしたい。
尊敬できる考えを持っている人だったらいいな。話せば話すほどとんちんかんなことを言う人だったら嫌だな。
大人になって父の素敵なところを発見する出来事があった。
弟の二十歳のお祝いに家族で夕食したとき、母が1本の赤ワインを持ってきた。それは、父が生前に買った、弟の誕生した年に作られたワインだった。なかなか良いものらしい。
父のおかげで初めて知ったワインのおいしさ。父よ、ありがとう
父よ、なかなか粋なことをするじゃんと感動した。母は弟が二十歳になったら飲もうと決めていたようで、それを飲んだときは感慨深かった。感慨深いとはこういうことを言うのかと体感した。
そのワインは本当に美味しくて、みんなで取り合いして飲んだ。当時、ワインの美味しさを理解していなかった私と弟は、父のおかげで初めてワインの美味しさを知ることができた。弟が大事そうにボトルの写真を撮っていた。私もこんな素敵なことができる大人になりたいと思った。父よ、ありがとう。
私は、父は近くで見守っていると思っている。霊感は無いし、そう感じる不思議な体験をしたことはないけれど、近くにいるんだろうなと思っている。でも、もし「父親」として見守ってくれているなら、「私はもう大人だから、生まれ変わって楽しく生きてよ」と言いたい。自分の人生を楽しんで欲しい。
と、言いながら、私がこの先どうなっていくのか見ていて欲しい気もする。難しい。
まあ、とにかく父の好きなようにしてくれたら嬉しい。