披露宴に出席するたびに、不思議に思うことがある。
花嫁から両親への「手紙」についてだ。

父母それぞれのエピソードと感謝の思いを綴った「手紙」。
不思議に思う。なぜ、世の新婦という新婦は、父親に関してあんなにも長尺で話すことがあるのだろうと。
私だって、母のことだったら書きたいことが山ほどある。しかし父のことなると、脳内の筆は停止する。

家に居なかった父のエピソードは少なく、「手紙」を埋められない

私が幼い頃、父は私が起きる前に仕事に行き、寝た後に帰ってきていたし、土日も仕事かパチンコ行って、家には居なかった。
お祭りで迷子になった私を探してくれたエピソードも、日曜日はいつも父が炒飯を作ってくれたエピソードも、無いのだから書けない。
私が中学生になってからは、父は少し早く帰ってくるようになったが、帰宅した瞬間に酒を飲んでいた。酒を飲むと陽気になり、酒の匂い混じりの猫なで声で私の名前を呼ぶ。思春期の私にはそれがたまらなく嫌だった。
リビングの床の上で昼寝をする。履いていた靴下をその辺に脱ぎ捨てる。白髪をなかなか染めない。父のそういうところも嫌だった。
友達のように可愛いお父さんが大好きだとも、厳格で少し怖かったけどその真面目さを尊敬しているとも、嘘だから書けない。
家族のためにずっと仕事を頑張ってくれて、私と兄弟を育ててくれたことには、本当に感謝している。
ただ、それだけでは「手紙」の長尺は埋められない。

ひとり暮らしで初めての高熱。朦朧とする夢の中に父が初めて出てきた

そうだ、私が父について思い出すエピソードが一つだけある。
私が大阪の大学に進学し、一人暮らしを始めてすぐの平日、夕方から急に体調が悪くなり、夜には体温が39度近くなったことがあった。
まだかかりつけ医もなく、一人暮らしで初めての高熱。季節柄インフルエンザでもない気がする。何の病気かわからない。

「変な病気で、寝ている間に死んでしまったらどうしよう」

半べそで母に電話した。死ぬような変な病気ってなんなんだろう。高熱は人の思考力を低下させる。
母は心配してくれたが、実家には当時まだ小学生の弟もいて、行ってあげたいけど出来ないの、朝になったら病院に電話しなさいね、と極めて真っ当なことを言ってくれた。
しかし、思考力が低下している私は、もうとにかく悲しくて、「寝ている間に突然死するのは怖いからせめて朝まで起きていよう」などと馬鹿なことを考えながら、いつのまにか寝落ちしていた。

そして夢をみた。鍵を開ける音、足音、ビニール袋をかさかさと鳴らす音。音で気がつきうっすら目を開けると、父がいる。持っているビニール袋から、冷蔵庫に何か詰めている。冷蔵庫から漏れる弱い灯でそんな父の姿が見えた。
父の夢など見たことない私は、「なんで夢の中で父?」などと思ったが、夢の中なのにまた眠気が襲ってきていたので、寝た。

朝起きると熱はあっさり下がっていた。
今思うと初めての一人暮らしにてんぱった、ただの知恵熱だったのかもしれない。人騒がせにも程がある。

そして携帯の受信BOXには1通の未開封メールがあった。
「帰りますが、まだ朝早いので起こしません。冷蔵庫にいろいろ入っています。近くの内科の番号を送ります」
父からだ。

夢だと思っていたことは現実で、片道2時間かけて来てくれた父

夢だと思っていたことは現実だったらしい。母から私が病気だと連絡を受けた父は、仕事終わりに車を飛ばして、わざわざ片道2時間かかる大阪まで来てくれた。
飲み物やゼリーを買ってきてくれ、冷蔵庫に詰め、私が呑気に眠っていたので、起こさずに静かに床で仮眠をとり、翌日も平日で、仕事にいかなければならない父は、5時台には起きて帰っていったのだろう。

私は父のメールに、「熱は下がりました、ごめんなさい。来てくれてありがとう」と返信した。
父からは「了解」と「goodの絵文字」が返って来て、そこでメールは終了した。
普通そこまでしてもらったら電話で感謝を伝えるべきだろうが、当時の私にはそれができなかった。そしてこの話は10年経った今も掘り返していない。

これが私が父について思い出す唯一のエピソードだ。
ここまでの情報を踏まえ、要らない情報を排除して例の「手紙」をしたためると、こうなる。

「私が大学生になり一人暮らしを始めたばかりの頃、夜、高熱を出してしまったことがありました。そのことを聞きつけたお父さんは、仕事終わりで疲れているのに、車で片道2時間かけて、夜中、私の住むアパートまで来てくれました。私が寝ていたのでポカリスエットやゼリーを静かに置いて、私が起きる前の早朝に、また仕事にいくために地元に帰っていきましたね。
実家で同居していた時はお父さんのことを仕事人間だと思っていたから、お父さんが私のためにそこまでしてくれたことにびっくりして、あの時はメールでそっけなく『ごめんなさい、ありがとう』としか言えなかったけど、私のことをいつも心配し、愛してくれているのだなと感じて本当に嬉しかったです。
そして仕事人間なんて言ってしまったけれど、私たちを守り育んでくれるために仕事を頑張ってくれていたのだと、自分も大人になった今ならわかります。本当にありがとうございました」

「手紙」にこだわらず伝えるのは、少し私にはハードルが高い

少し尺は短いかもしれないが、何とか形になったと思う。これでいこう。

なお私が結婚する予定は今の所まったくないので、この「手紙」を読める日取りは未定で、だから「手紙」にこだわらず、別に何でも無い日に伝えればいいのかもしれない。
でも父は、今も酒を飲むと陽気になって、「そろそろ孫の顔が見たいなぁ」などと連絡をよこして私をざわつかせるし、たまに実家に帰るとリビングの床の上で昼寝をしているし、その横には靴下が脱ぎ散らかされている。髪はもはや黒い部分がなくなり、全面白髪で放置されている。
素面の状態で昔のエピソードを掘り返してありがとう、というのは、大人げ無いけれども私には少しハードルが高い。

私が父に言いそびれた「ありがとう」を伝えるためには、例の「手紙」という、特大級の言い訳が必要なのだ。
世の新婦たちの「手紙」も、実は私と同じような気持ちで作られているのかもしれない。