令和2年の春、私は社会人になった。
名の知れているIT企業の営業。正直、業務内容に興味はなかったが、福利厚生にも人間関係にも恵まれ満足していた。
8月に研修を終え本配属となり、同時に一人暮らしも始まった。
毎日8時間、普通に働いた。同期と昼食を食べながら愚痴をこぼしたり、夜は上司の飲みに付き合ったり、それはごく普通の社会人生活だった。
でも、どこかで気づいていた。
――私がしたいことは、ITでも営業でもない。
ただそれを認めるのは勇気がいる。まだ社会人になって数ヶ月。
「いつかやりたいことを仕事にするために、今は稼ごう。」
ただそれだけのために働いた。
自分の気持ちを押し殺す日々。私の心は音を立てて崩れ始めた
ある日、私は胸のあたりにチクッとした痛みを感じた。原因は、肋間神経痛。
“ストレス”という言葉に心がざわついた。
上司に仕事がストレスだと思われれば、「ダメな新人」だと思われるかもしれない。だから私はいつも通り、満面の笑顔で、ヘラヘラしながら報告した。
秋になる頃にはもう、自分の気持ちを押し殺すことに慣れていた。上司にとっての冗談が私の心を突き刺しても、それがバレないくらいには笑顔を作れた。家族には、仕事は楽しいと嘘をついた。
でも、限界を迎えた私の心は音を立てて崩れ始めた。
毎日夜になると微熱が出る。コロナウイルス対策のため、しばらくは実家で在宅勤務をするように言われた。
そしてなぜか、朝起きた時、テレビを見ている時、買い物に出掛けている時、そして仕事中も、ずっと涙が溢れて止まらなかった。
ついに、会社の保健師と話すことになった。しかし勧められたのは、内科や産婦人科の受診。
「鬱の人は周りが見えなくなる。あなたは大丈夫なの」
そう言われて、その言葉を信じて、また泣いた。
――じゃあ、この身体の中にへばりついている黒いモヤモヤは何?
私は会社に内緒で心療内科に行くことを決めた。
自律神経失調症、軽度のうつ病、そして適応障害だった。
会社に告げると、偉い人と面談をすることになった。
「どうせ、学生時代はバイトばかりして、挫折したことないでしょ。だからだよ」
もう、言葉も涙も出なかった。何も知らないくせに、どうして。
私の休職が決定。父が心の病気に理解があることが、私の支えになった
お正月休みが明けた1月6日。その日は2階の自室で在宅勤務をしていた。
しかし、新年初端からミスをし、上司に指摘をされた。
いつもなら、ヘラヘラ笑いながら自虐して上手く謝れる。ただその日は、嗚咽をこらえながら、「いつもと何かが違う」と自分でわかった。
私は突然、呼吸のやり方を忘れた。
全身が震えて手が動かない。
目が開かない。
上手く声が出ない。
その日、父がたまたま1階で在宅勤務をしていた。助けを求めるため、泣き叫びながら階段を這いつくばって降りた。
父は一瞬驚きながらもすぐにいつもの笑顔に戻り、私を座らせた。そして背中をさすりながら、「俺にも経験あるから」と一言優しくつぶやいた。そして、過酷な労働環境が許されていた時代の父の話をしてくれた。
そういえば、父は毎夕食後に薬を飲んでいる。そのせいでお酒が飲めないことも知っていた。ただ、何の薬なのか、私は何となく聞いたことがなかった。
父が心の病気に理解あることが、私の支えになった。
その後、私は休職が決定。仕事をせずにずっと実家にいることに罪悪感を感じ、何度も自分の左手首を傷つけた。
でも、私は家族の前では落ち込まない。いつも通り、馬鹿みたいなことをして、ずっと笑顔でいる。そうするとリビングが明るくなるし、私も余計なことを考えずに済むから。
休職中は毎日軽く家事を手伝いながら、本を読んで過ごしていた。そしてたまに、大好きなカフェに出掛けた。
父の言葉に止まらなかった涙。最強の味方でいてくれてありがとう
ある時、父の机の中から「備忘録」と書かれたノートを見つけた。「日記」ではなく「備忘録」。日常ではなく、特別な日をこのノートに残しているようだった。
読むのは良くないと思いながらも、最後のページをゆっくり開いた。そこにはお世辞でも綺麗とは言い難い父の字が並んでいた。
「緋音は頑張り屋さんだから、きっといっぱいになったんだね。本当に今までよく頑張った!我慢していたと思う。しばらくはゆっくり休んでほしい。パパはどんなことをしても緋音を助けるし、遠くからでも見守っているから」
何て温かい言葉なのだろう。
私はまた、涙が止まらなくなった。久しぶりの嬉し涙だった。
生き急いでいた気持ちがスッと軽くなった瞬間だった。黒いモヤモヤが浄化される感覚を覚えた。
お父さん。
勝手に「備忘録」を読んでごめんね。
そして、最強の味方でいてくれて、ありがとう。
私は時間をかけて、心の傷を治す。これからは自分の気持ちに正直に生きたい。自分が好きなことを仕事にしたい。今なら何でもできる気がする。身近に守ってくれる人がいるから。
そして、いつか勝手に読んだ父の「備忘録」に救われたことを、直接伝えたいと思う。