父と最後に話をしたのはいつだっただろうか。もう10年は経つのではないか。
「元気でな。がんばれよ」
父が私の部屋へ来ることなんて滅多になかったから、何か大きな失敗をして、怒られるのではないかとヒヤヒヤしていた私は、父の言葉に拍子抜けした。
父に似合わない言葉だなと思ったのを、鮮明に覚えている。私の机の上に1万円札を置いて、父は出て行った。プレゼントの代わりにお金を置いていくのは、父らしいなと思った。
それから、父とは一度も話していない。

父親の厳しい一面と優しく可愛らしい一面

父は厳しい人だった。
特に、時間に厳しかった。小学生の頃、友達との約束に少しでも遅れると、泣くまで怒られた。父に叱られるのが怖くて、いつしか友達と遊ぶ約束をすることが苦手になった。
休みの日も遅くまで寝ていると、「いつまで寝ているのだ、だらしがない、ぐうたらするな」と怒鳴られた。いくら頑張って起きようとしても、幼い私にはとても難しいことだった。睡眠時にかかるストレスが大きかったせいか、小学校の高学年になってもおねしょが治らなかった。
それくらい、私にとって父は大きく怖い存在だった。

厳しい人であったが、夜中にこっそりと私を遊びに連れ出してくれることがあった。行き先は、近所のコンビニであったり、ゲームセンターであったり、おもちゃ屋さんであったり、子供の私を魅了する場所ばかりだった。
父は仕事へ行く時の大きな車とは別に、小さくて可愛らしい車も持っていた。2人乗りでとても窮屈で、革の匂いがした。ルームミラーには、革で作られたキーホルダーが飾られており、父の名前が刻印されていた。小さな可愛らしい車も、名前が刻まれたキーホルダーも、幼い子供が選んだおもちゃのようで、父には似合わないなと思った。

あの日も、父は私を連れ出した。まだ冷える春の夜だった。
「朝日を見に行こう」
暖かいココアを買ってくれた。2人でちびちびと飲みながら、小さな車で海を目指した。
海に着くと、まだ辺りは夜に包まれていた。
「少し寝たらいい」
そう言って、車内を暖めてくれた。
ふと気がつくと、すっかり明るくなっていた。朝ごはんを、近くのファストフード店で食べて、帰宅した。
「綺麗だった?」
母に聞かれたが、父と2人の時間のことを話すのが気恥ずかしくて、自室へと逃げた。

忘れたくないのは、あの時の車の中の暖かさとココアの甘さと男の人である父親

大人になって振り替えると、2人きりで過ごす時の父は、「父親」ではなく「1人の男の人」だったように思う。「父親」としての尊厳やプライドから離れて、1人の人間として向き合ってくれるあの時間が、私はたまらなく好きだった。母に隠して、そっと独り占めしてしまおうと思うほどに。
父にとっての「父親」は、とても厳しい人だったのだろう。故に家族の輪に入ると、「子供」である私にとても厳しくしたのだろう。

父と会わなくなって久しい。電話も、手紙のやりとりもない。そういう取り決めらしい。
母は父のことについて多くを語らない。私の中での父との記憶も、段々と薄れつつある。いつかあの車の中の暖かさも、ココアの甘さも思い出せなくなるだろう。それでも父と過ごした時間は、間違いなく私の中で生きている。
もし、また父と話すことができたら、「1人の大人」と「1人の大人」として話すことができるのだろうか。もしそうであるならば、背伸びをせずにありのままでいるあなたがとても好きだったと伝えよう。