父はあまり多くを語らない人だ。といえば聞こえは良いが、そんな昭和のダンディーな感じでは決してなく、ただ無口なだけである。それに干渉してこない。いい意味でも悪い意味でも。学校のことなぞ、聞かれた記憶がないのだ。
そんな父との思い出は多くない。一番印象に残っているエピソードがある。それは私が小学5年生の時だった。
喜んで修了書を見せた私にそっけない父。「もういいかな」と思った
私の住む地域では小学5年生で自然学校という宿泊学習がある。4泊5日親元を離れ、自然豊かな場所で集団生活を送る。飯盒炊飯や登山、キャンプファイヤーなどの体験をする、今思えば結構手の込んだ学校行事だったと思う。5日間が修了すると修了証書が貰えるのだが、この修了証書が父との関係に大きく影響を与えている。
自然学校を終え、5日ぶりに家に帰った私。久しぶりに家族で過ごせる嬉しさや、自然学校を頑張れたこともあって、テンションも高かった。みんなが揃った夕食の食卓でも5日間の話題が並ぶ。父はまだ仕事から帰って来てなかったが、私が夜寝る前には帰宅していた。
自然学校から帰ってきたよ、頑張ったよと伝えたくて、私は父に喜んで修了証書を見せたのだった。すると父は「ん?ああ、それか。」とだけ言った。
私はガッカリした。どんなリアクションならば自分が納得したかは分からないが、その時の私はとてもガッカリしたのを覚えている。これまでも私のテストの結果だったり、習い事のことに対して何か言われたこともなかったのだが、その言葉を聞いて、父に対して「もういいかな」と思ったのだった。
不器用で人間関係を築くのがヘタな父と距離ができてしまった
この日を境に、もともと会話が少なかった父と、さらに話さなくなっていった。私の兄弟も父との関係はそんな感じだった。
私には姉と弟がいる。けれど2人とも私と同様に父と距離がある。弟なんかは未だに忌み嫌っている。同居しているにも関わらず、食卓で顔を合わせたくなくて食事の時間をずらす程だ。
私は大人になってからは、一番ひどかった時よりかは話すようになった。というよりかは、兄弟2人がそんな感じなので、仕方なく話相手になっているという感じだ。父も還暦という年齢になっている。兄弟2人がそんな感じで父をかわすので、はからずも私の方に来るようになっていた。
父はきっと不器用な人だった。それは手先だけでなくて、人付き合いにおいてもで、人と人間関係を築くのがヘタなんだろうと思う。不器用で、うまく出来なくてイライラして、ものに当たる。昔からそんな人だった。その様が幼い私にとっては恐怖だった。今でもイライラしてものに当たっていることがあるが、恐怖感よりもまたやってるという呆れが勝つ。
仕事や人間関係を上手くできない私は、やっぱり父の子どもなんだ
その反面、私はその不器用さを着実に受け継いでしまっているなぁと感じる。職場での人間関係、分からないことを素直に聞けなくてミスをする。上手くできない自分自身に対してイラついている。そんな時私はやっぱり、あなたの子どもなんだなぁと思う。
お父さん、私はただ頑張ったねと言って欲しかったんだよ。「最近学校はどう?」なんて聞いて欲しかった。たぶん「別に」って当時なら答えるんだろうけど。
父へ今だから言える言葉。でも面と向かっては言えない、まだ恥ずかしさが勝る。でも父と私、似た者同士、年齢を重ねてお互いに丸くなっているから、少しはまともに話せるような気がする。今度実家に帰ったら、何もないような風をして、私から話しかけてみようかななんて思っている。