夏美に話があると呼び出されたのは学校近くの回転寿司屋だった。平日一皿90円、ドリンク(粉末の茶)は飲み放題で、長居も許されるこの店は、二人のセカンドハウスになろうとしている。
いつも通り、夏美は慣れた手つきで湯飲みに粉末の茶を入れ、割ばりしで2、3周かき回しながら口を開いた。
「昨日さ、したわ」
話が追い付けず、は?え?と両目を見開く私に、夏美はうん、とだけ頷き、目の前のエビアボカドを口に運ぶ。
おめでとうと祝福した後は、お待ちかねの質問タイム
――夏美が、した。
グループで唯一、私と夏美だけが「未経験」だったーのに。
授業終わりの帰り道はいつも二人で、やっぱ、泊まりのパジャマはジェラピケだよねとか、男はこの色の下着が好きらしいよとか、色っぽい声の喘ぎ方なんかを調べては、キスより先の世界に憧れを抱いた。
そんな戦友だった夏美が、ついに、デビュー戦を終え、いま目の前で祝宴にふさわしき寿司を豪快に平らげている。
おめでとう、とさんざん祝福した後は、いつ、どこで、痛みは?と、寿司屋は拘置所と化し、夏美は質問という取り調べに辟易しながらも、まぁ、三ヶ月も付き合ってれば遅い方だよ、と夏美は続けた。
「あんた達もそろそろでしょ?」
友人の「妄想と現実は違う」の言葉が現実となる
そうだ。
未経験の私だって、予定だけは押さえてある。
付き合って一ヶ月になる彼氏と、この夏休みに一泊二日の旅行に出かける。
お互い実家暮らしだったこともあり、二人で過ごす初めての夜だ。
ジェラピケのパジャマを用意し、寝ても落ちないナイトメイクの動画を視聴し、色っぽい発生練習も入念に行い、さぁ大人になる準備は万全。
泊まった宿は、地元で獲れた新鮮な海の幸が味わえると話題だけに、食べきれないほどのご馳走が並べられ、一皿90円の回転寿司にはない豪華な舟盛りや姿煮の品々に、大人になる予兆がすでに感じ取れた。
それからはもう流れるままだ。
横並びに布団を敷き、彼氏の「いい?」の合図で電気は消され、私は恥ずかしさのあまり、身体は活きのいい魚のように硬直する。
すると、突然、彼氏が「ん?」と動きを止めた。
「タグ、付けっ放しじゃん(笑)」
ーーしまった。
ジェラピケのおろしたてのパジャマにタグを取り忘れていた。
フッと笑う彼氏の声に、夏美の「妄想と現実は違う」の言葉が現実となる。
気持ちを立て直そうとしたタイミングでフロントから電話が鳴るし、あれだけ練習した色っぽい声も、外で鳴くセミの大合唱(騒音)により雰囲気は揉み消されるし、最後は、もうあまりの痛さに、私のわめき鳴く声に行為は打ち切りとなった。
私は夏美や皆んなのように階段を登りきれないどころか、転落して癒えぬ傷までも負った。
「知りたい」は「したい」とは別。大人になるための好奇心
悔しかった。「そんなシたいの?」って、そういうことじゃない。
「した、しない」なんて人生経験にすれば、たった数段の違いだ。
だけど、その一段上がった見晴らしからどんな景色が見えるのか、それを「知りたい」と思うことは「したい」とは別の感情で、これも大人になるに必要な好奇心だ。
でも、私の大人になる挑戦は失敗に終わったのだーー。
いつも通り夏美と回転寿司に入る。
どうだった?と席に着くなり夏美が湯飲みを作りはじめ、私はうまくいかなかったことを正直に話す。
「実は、私もあの時さ」
夏美は目の前のえびアボカドを口に含みながら、照れ臭そうに笑った。
その後は「失態者同士」、遅くまで茶を交わしたのは二度と戻ることのない夏だろう。