「潮干狩りに行こう」父からの誘いを知らないうちに断ってしまった

パパに伝えたかったんだ、あの時ごめんって。でもね伝えるには昔のことすぎて、もしかしたらこの記憶は、私の脳が都合の良いように誤作動で創造したものに過ぎない可能性もあるんだ。故に私の感情もフィクションかもしれないんだよな。

あれは確か5歳の頃だった。母と父は物心つく前から離婚しており、気づいた頃には父は、回転寿司に連れて行くという口実を元に家に訪れるだけの人間という存在だった。

だけどある日、そんな父が夏休みにふと「家族で潮干狩りに行こう」とお寿司以外の場所を言ったんだ。5歳の私には、潮干狩りの言葉から何が楽しいのかを想像するには難しかった。

でも回るお寿司ではない場所に連れて行ってくれるのは嬉しかったんだ。だけどやっぱり離婚し一緒に住んでいないため、1皿100円の寿司を食べさせてくれるという存在の人にどうやって寿司以外に対する「楽しみ」という気持ちを伝えて良いか分からず、「嫌だ、行きたくない」なんて言葉を知らないうちに言ってた。

きっと父なら、父だから、パパだから、実は楽しみだっていう私の気持ちも言わなくとも察して分かってくれると思ってた。

初めて見た怒った父の顔。胸の内がギュウッと苦しくなった

なのに、いつも私が美味しそうに米と魚と茶色の液体を食べる姿を笑顔で見ている父が、少し固まった後に悲しさから初めて怒った姿を見せて、「もういいよ、潮干狩りは無しだ!帰る」って言ったんだ。

布団の上で、もう私の足には長靴だって履いているのに。さすがに5歳でも気づいた、私の言葉が父という人間を本当に傷つけてしまったって。
あの時初めて心から人を傷つけることについて、知った。教室で先生を怒らせて「やっべ、やってもうた」とかじゃなくて、胸の内がきゅぎゅうう。ってなる感じ。

そんな思い出があるから、今もなお「寿司行くかー、迎えに来たぞー」とピンポンを鳴らし父の腰につけた、車や家の鍵が擦れるチャラチャラと音が聞こえるたびに、思い出すんだ。

だから今の私は、今度は父を傷つけないように傷つけないように。って小さな子供がグーの形をした手を胸に持ってきてお願い事を唱えるように、心の中で意識しながら父と喋る。

秋から留学に行く私。父と会える数か月であの日のことを謝りたい

そして今スタバでトイレに行きたいと伝えてくる膀胱に「待て。待って。」と言いながらこのエッセイを書いている私は実は9月から、このコロナ禍にも関わらず留学に行く。(ちなみに留学先は台湾で、感染状況に関しては世界規模でみても安全で、マスクなしで生活もできるほど。4月19日現在)
あと父に会えるのも半年ぐらい。行ってしまったら、双方に何かあっても、隔離があるからすぐには絶対会えない。

だからこの会える時期に高校を1ヶ月前に卒業した私は、まるで今まで母と離婚し別居しなければあったはずであろう数の思い出をとりつくるかのように、安くて薄いピザが美味しい思い出のイタリアンに行ったり、桜と菜の花の川沿いをサイクリングしたり、ドライブスルーで抹茶を飲んだ。

まるで私が飛び立つ頃には、父は私との一生分の思い出を作り、思い残しを無くしたことで、死に向かって真っ直ぐに走っていけるような頻度で会っている。

「寿司行くかー、迎えに来たぞー」以外の言葉を言わない父というよりも、寿司という口実でしかほとんど会わなかったが、残りの数ヶ月でいろんな話をして、あの時言えなかったごめんねを今更だけど伝えたい。