私の左手には、大きな火傷の跡がある。人差し指から親指にかけてくっきりと。見た目は大変醜く、中にはこれを見て「気持ち悪い」「怖い」と感じる人がいても仕方がないくらい目立つものである。

私が1歳の頃アイロンに触ってしまい、左手に火傷の跡が残っている

大火傷の傷跡を負ってしまった理由は、私が1歳の頃アイロンに触ってしまったからである。幸い、物心がつく前なので痛みも覚えておらず、大きな障害は残らなかった。

しかし、小さな障害はある。左手の方が手を広げにくい。人差し指と親指の間に水かきのようなものがあるせいだ。冬場はそこが乾燥して、ひび割れて血が出たりする。

そして、握力。私の右手の握力は30台あるくらいなかなかの怪力だが、左手は1桁しかない。今もペットボトルなど固いものを開ける時は、やや困難に思うことがある。

見た目も醜く、何かと不便な私の左手だが、それ以上に好きと思える理由がある。実はこの左手には、たくさんの“人の優しさ”と“勇気”が詰まっているのだ。

物心がついた頃から、初対面の子に「その手どうしたん」と驚かれることが多い。私は「アイロンで火傷した。赤ちゃんの頃だから覚えてないけど」といつもの台詞を言う。大概は「痛そう」「大変だったね」と同情の言葉をかけられる。中には「そうなんや」とあっさりした反応の子もいる。

私は、どちらの反応もありがたいと思う。左手を見慣れた私でも気持ち悪いと思うのに、みんな辛い言葉を言わないのだ。人って優しい生き物なんだと小さい頃から分かっている私は、とても幸せ者である。おかげで、今も人のことが好きである。

左手の火傷跡を「気持ち悪い」とAちゃんに言われ、話し合いをした

だが、一度だけ「気持ち悪い」と言われたこともある。小学3年生の夏の出来事だった。半袖やノースリーブを着て、左手を袖で隠せない季節に起きた事だった。クラスの女の子から、ショックなことを聞かされた。

「Aちゃんが『左手の火傷の跡気持ち悪い』って言ってたで!」「こんなこと言っちゃあかんのに!」「『そんなこと言わんといて』って言いにいこう!」こんなことをクラスの女子の何人かが口々に言い出した。とてもありがたいと思った。

しかし、喧嘩が苦手で気の弱い私は「平気やから大丈夫、ありがとう」と言ったものの、彼女たちの怒りはおさまらない。彼女たちは「だって気持ち悪いって酷いこと言われてるんやで!?嫌なことは『嫌』って言わな!」と言い、無理矢理私とAちゃんの話し合いの機会を作った。

私はAちゃんが吊し上げられるような形で気に食わなかったが、渋々彼女達の言う通りにした。私は後ろにいる女子たちから「ほら、ちゃんと言って」とけしかけられ、たどたどしく言った。「Aちゃん、私の左手『気持ち悪い』って言ったの、ほんま?」

Aちゃんは頷いた。私の後ろにいる女子たちに圧倒されているのもあると思うが、ひどく怯えた様子だった。Aちゃんは、涙を目にいっぱい溜めていた。私はしばらくの沈黙のあと、「私がなにも気にせず半袖着てたからやな、ごめんな、夏でもちゃんと長袖着て隠すようにするから」となぜか謝罪してしまった。後ろの女子たちもAちゃんもポカンとしていた。1人の女子が「それ本当に思ってることなん?」と言った。

私はハッとした。わざわざこの子たちが、話し合う機会を設けてくれたのだ。ここで偽善者ぶってどうする。Aちゃんを追い詰めるようなこの輪の形は大嫌いだけれど、彼女たちはAちゃんに何も言わない。私が思っていることを言わないと終わらない。私は勇気を振り絞って言った。

「この火傷の跡………自分が好きでつけたわけじゃない…………!」と大きな声で言った。私は泣いていた。Aちゃんも泣いていた。「ごめん、酷いこと言った…ごめんな…」こうして私たちの話し合いは終わった。

左手を見るたび「人の優しさ」「勇気」が詰まっていることを思い出す

Aちゃんが気持ち悪いと言っていたのを聞いた時、正直モヤモヤした気持ちも怒りの気持ちも湧いていた。話し合いのあとはAちゃんも含めてみんなで帰った。みんな「ゆめぴりかちゃんが、あんな大きい声出すの初めて見た」「ちゃんと言えて良かったね」と口々に言った。

解散場所になるとAちゃんは「思ったことを言ってくれてありがとう、これからはもう言わない」と言った。強く決意した目だった。Aちゃんに人のことを傷つけることを言ってはいけないということが伝わったようで、私は嬉しかった。「うん、もう言わないで」と私は微笑みながら言った。

気の弱い私が友達に意見を言ったのは、この日がおそらく初めてであった。「何か言い返されるかもしれない」とビクビクしてたが、あの時思ったこと言って本当に良かったと感じたのを今でも覚えている。

今でも他者に意見をするということが苦手だが、左手を見るたび思い出すあの夏の出来事。“人の優しさ”と“勇気”が詰まった左手。私は大事な時はいつも左手見て、あの時の出来事を思い出し、前に進むのだと強く決意するのだ。

だから、私は人からどう思われていようが、“人の優しさ”と“勇気”が詰まった左手が大好きである。