休日だから外食にしようかと気軽に考えられないこと。旅行の計画などもってのほかであること。どこの局のニュースをつけても、必ず全国の患者数が、重傷者数が、死亡者数が報じられること。
少し前まで、これらは「いつもと違う」ことだった。

今更、いつも飲んでいたコーヒーに感動し、ふと気がついた

ところが今や、むしろそれが当たり前になっている。休日は家にこもりきり。もともとインドアな生活をしていた私でも、たまに気が滅入る。いつまでこんな生活が続くのだろうか?もっと自由に生きたい。
元々、休日にはいつも外出していたというわけでもないのに、そんなことを思ってしまう。三月末で引っ越しに伴い仕事を辞めると、ますます家で過ごすことが多くなり、ネガティブな気持ちも増していった。
そんなある日、食後に飲んだコーヒーをたまらなく美味しく感じた。
コーヒーは昔から好きで、ミルのついたコーヒーメーカーでいれているが、別に最近買ったばかりでもない。豆だっていつもと同じで、今更、毎日のように飲んでいるコーヒーに感動するなんて。
自分で不思議に思って、そして、ふと気がついた。
毎日同じ家で、同じように過ごし、そんな一週間を何度か繰り返すと一月過ぎ、さらに二月過ぎ……。そういう生活の中で、私は感動することがなくなっていたのではないだろうか。本当は、毎日飲んでいたコーヒーにも、感動が宿っていたというのに。

全ては自分の心持ち次第。いつもの休日を大切に過ごし、余裕を大事に

それから私は、休日を大切に過ごすようになった。
何か特別なことをするわけではない。きちんと三食自炊をしたり、本をじっくり読んだり、新型コロナウイルスが蔓延する前にも後にもやっていたことをしているだけだ。
でも、料理をよく味わったり、読後感にゆっくり浸ったり、そんな余裕がこれまでの私にはなかった。コーヒーを美味しいと感じる余裕さえなかった。悪いニュースに焦燥感をかきたてられ、不安感を煽られ、けれど友人と会って気晴らしも出来ず、どんどん余裕を失っていた。
このコロナ禍で、そういう人はきっと多いだろう。でも、全ては自分の心持ち次第だ。
外出できないのなら、家の中を楽しむしかない。今までと同じことでも、視点を変えれば違う側面が浮かび上がってくる。家の窓から見た景色が意外にも美しいことを、私は最近初めて知った。そこに見える木に青っぽい色の小鳥がよくやってくるということも、その鳥がシジュウカラという名前であることも。
どんな人でも、きっとそうなのだ。今まで確かに見ていたのに見えていなかったことが、必ずある。それを見逃しているのは、自分の余裕のなさゆえなのだ。
これからも世の中の状況はどうなっていくか分からない。それはコロナに限ったことではない。もしかするともっと悪いことも起きてしまうかもしれない。
それでも、日々を彩り豊かにしていくために、余裕を大事にしていきたい。そうすると見えてくるものや、感動がある。
それに気がつくことで、「いつもと違う休日」を、私は毎日大事に過ごしていける。