世の中には、一体何人のお父さんがいるんだろう。「お父さん」という判断基準が難しいけれど、きっと数億人?くらいはいるんだろうな。
そんなお父さん界ではきっとあまり目立たないであろう、私のお父さんを紹介したい。

相場ではあるらしい「濃いめの父とのエピソード」が私には特にない

私のお父さんはたしか63歳。お母さんよりも3歳年上と聞いたことがあるので、そのくらいの年齢だと思う。最近は釣りにはまっているようで、船の免許を取得して海釣りに行っているらしい。かなり本気である。

長々と語ると思いきや、私のお父さん紹介はこの程度。「お父さんを紹介する」と言いながら、たった2、3行しか語れない薄情な娘にお父さんは何を思うだろうか。

様々なメディアで語られるお父さん紹介の相場としては、だいたい濃い目のエピソードが一つか二つくらいはあるものだけれど、私には特にない。生まれてから高校を卒業するまでの18年間、一緒に生活しておきながら、特にないのである。生まれてから小学生くらいまでの記憶は、お父さんの記憶に限らずそもそもないのだけれど、中学生くらいから高校を卒業するまでの数年間の記憶を辿っても、朝ごはんを食べている姿と、遅い時間に夜ご飯を食べている姿しか思い出せない。

18年間一緒に生活していたにも関わらず「お父さんはご飯しか食べていない」と言ってしまう薄情な娘に対して、今回ばかりは怒るだろうか。

「あの時、ああしてくれて嬉しかった」「あの時、ああしてくれなくて辛かった」なんてエピソードがひとつもない私のお父さんは、きっとお父さん界では目立たない気がしてならない。もし、お父さん界でお父さんを戦わせることがあるとしたら、勝つことも負けることもなく終わってしまうのではないだろうか。

エピソードは特にないけど、私はお父さんに愛されていると思う

それでも不思議なことに、わたしはお父さんに愛されていると思う。大学進学と同時に上京した私は、ついにお父さんという大きな存在に気付いたのである。

上京後初の帰省も終盤に差し掛かり、あと数時間後には一人暮らしの家に帰らなければならないというタイミングを迎えた私は、徒歩15分の距離にある駅まで車で送ってほしいと駄々をこねた。年齢的にそろそろ自立していかなければならない時期であるにも関わらず、しっかりと駄々をこねた。おそらく、新天地での人間関係に行き詰まり、ただただ自分の感情を素直に吐き出せる環境があることを確認したかっただけだと思うけれど、我ながら非常に面倒くさい娘である。それでも静かに駄々をこねる私を見守り、最後には仕事の合間をぬって駅まで送ってくれた。

どんなSOSでも見逃さない、お父さんはこういう愛し方をする人なんだとこの時悟った。極めて大きなエピソードがなくても、愛されていると実感できる愛し方をするお父さんは偉大である。

父は今、家族との時間を大切にし、お父さん界でも目立つ存在に…

ところで、「お父さんを紹介する」と言いながら、我が父をけなしているのか自慢しているのかわからない薄情な娘はひとつ困っていることがある。

この世にはお父さんみたいな男性がいない。もう少し具体的に伝えると、仕事で忙しい、かつ、愛されていると実感できる愛し方をしてくれる男性がいない。

まだまだお父さんのお世話になるつもりでいるし、40歳までに結婚できなかったらお父さんの前で駄々をこねようと思う。

定年を迎え、仕事も落ち着いた今、家族との時間を大切にしようとしてくれている姿をみると、お父さん界でもなかなか目立つ存在になっているのではないかと思ったりしている。
声を大にして伝えたい濃い目のエピソードはまだないけれど、質より量のエピソードで戦ってみようか。