そろそろいい人いないの?
若いうちに見つけておかないと、他の人に取られるわよ。
25歳になった私は周りからそう言われ始めた。

恋愛が全てではない私にとって、どう返していいのかわからない言葉だった。
気が合わない人と一緒にいるのも時間の無駄だし、とにかく自分が尊敬している人と一緒にいたかった。
ただそういう相手が今自分の周りにはいない。
家から出ない私は本当に出会いがなかった。
この平和な生活に慣れてしまった私は、誰かと出会いたいとすら思わなくなってしまった。
このまま華の二十代もおわっていくんだろうか。

ケチャップを足す彼を見て、私はただただ悲しかった

いままで何度か好きになってくれる人がいた。だけど私には気が重かった。
毎日連絡取ることや定期的に会うことが、何故か義務に思えて楽しめなかった。
デートも楽しまないといけないという思いがあるからこそ、面白くない話に相槌を打ち、笑ったり、会話を作っていた。そんな自分に嫌気がさした。
最初は好意をもっていた相手が、日に日に憎らしく思えてきた。

ある日、ご飯作りをすることになった。私はオムライスを作ることにした。
私が混ぜたケチャップライス。彼が横に来て、一口味見。またケチャップを加えて混ぜ始めた。
すぐに聞けばよかった。なぜそんなことをするのか。
だけど、その時は聞けなかった。悲しみの方が強かった。
私をどうして理解してくれないのだろう、と。
当時は、好きな人は私のことをわかってくれていると勘違いしていた。
ここ最近出会った他人なのに、私を理解できるはずがない。
そしてなによりも、言葉が足りなかった。
価値観の違う相手に私の言葉をぶつけるのが恐かった。
のちにケチャップ事件のことを聞くと、共同作業のつもりだったらしい。

私のペースとスペースを侵さないで どんなに好きでも離れてほしい

"共同作業"、私はこの言葉が1番嫌いだ。
協力をどうやってするのかがわからない。手伝ってもらうのも苦手だ。
マイペースな私は誰かに手伝ってもらうと、ペースが崩れた。
目的のためにやるのではなく、その人が私を気遣って手伝ってくれているから、早く終わらせなければいけないということが目的になるからだ。
だから、もし誰かが私に何かを頼んできても、私は協力せずに、ひとりで全部やってしまうことが多かった。たとえ時間がすごくかかったとしても。

共有も苦手だ。
時間、空間、ベッド。誰かと一緒にいても3時間ほどで帰りたくなるし、無言であっても横にいることが気になって何もかも楽しめなくなった。
同じベッドで寝るなんて、到底出来ない。相手が動いただけで目が覚めてしまう。イビキや鼻息、それだけで鬱陶しく感じた。
だから、旅行に行った時は絶対にシングルベッドを2つとる。
旅行先で、シングルベッド2つをくっつけ始めた彼を見て、私は青ざめた。
「We have no space, cuz we are always together. (僕たちにスペースはいらないよ。だっていつも一緒だから)」
友人にこのことが嫌だったと話したら、逆にキュンとしてしまうところだと思うと言われた。
もちろんラブコメを見て、みんなと同じタイミングでキャーと言う。
だけど、現実はこう。
私は普通の恋愛ができないのかもしれない。
人との間に少しの距離がいるから。
それが彼であったとしても。

私のことを伝えよう、いつか受け入れてくれる人が現れるはず

甘い言葉をくれていた彼とも、コロナで遠距離になり会えなくなった。海外にはまだ行けそうにない。そして本当に好きかどうかわからない相手にまた会いに行くね、なんて嘘がつけなかった。
「I can’t keep this relationship (この関係を続けられない)」
それを言ったのを最後に連絡を絶った。
解放された気分になった。

それから誰かに好きだと言われても拒絶するようになった。自分を縛り、パーソナルスペースを侵す存在を恐れた。デートにも段々と行かなくなった。
周りから、いい人いないの?と言われるのも当たり前だ。
だけど、いつか、ありのままでも受け入れてくれる人がいることを信じて。
まずは思っていることを言葉にして、拒否されることを恐れない。
私はこんな人間なんだと知らせるところから始める。
そしてこれからは自分を受け入れ、肯定してあげようと思う。