“生理”。この世界に“女性”として生まれた人たち皆んな、月一でやってくる厄介なイベントをどうやってやり過ごしているのだろう。

毎月、「あーそろそろやってくるな」と管理アプリを眺めてはため息をつく。だってお風呂に入るのは面倒になるし、朝起きると頭がぼーっとして動くエネルギーがゼロになる。月曜の朝に来た日なんかは、最悪な1週間の始まりで気持ちが滅入る。

それに、私に関していえば、出血量が人一倍多くて、忙しい日々の中で生理ナプキンを替える大変さといえば尋常じゃない。いつも洋服についていないかヤキモキしながら過ごす。

席に赤いしみがついていた時「大丈夫?」と声をかけてくれ女性

この“厄介なイベント”によって、人に話すのが憚れるほど恥ずかしく、切迫した事態に追いやられた。「なんで、こんなにもしんどい思いをしなければならないんだ」と、上手く生理と付き合うのには時間がかかって、その度に辛さと悲しさと怒りとが自分の心を襲ってくる。

初潮が訪れたときに、お母さんが「お赤飯を用意しなきゃだね」と嬉しそうにしていたが、「そんなもん絶対に要らなかっただろ」と思っていた。

けれども、そんな緊急事態も徐々に笑い話になってきつつある気がする。なんとかやり過ごせたのは、同じ“女性”たちの優しさがあったからだった。窮地に陥った私に手を差し伸べてくれた凛々しい方たちについて、お話させていただきたい。

まだ中学に入りたての、制服のスカートのひだは折り目がぴっしりしていて、休み時間にお手洗いに行くこともちょっとした勇気がいった頃、私はまだ友達がいなかった。

確か1時間目の数学が終わって、先生が「挨拶します、起立」と言って席を立った時だった。なんと私の新品のスカートを見事に通過して、席に赤いしみがついていた。慌てた私は、焦って持っていたティッシュで泣きそうになりながら席を拭いた。

すると、そんな状況を見た私の前の席の女の子が「大丈夫?」と声をかけてくれ、お手洗いに行ってティッシュを水で湿らせ、一緒に席を拭いてくれたのだった! なんという勇敢さ!

幸いにも女子校だったので、周りから特段変な目で見られることもなく、事態を収束できたのだった。その子は初めてできた友達になったし、運命というのは不思議なもので高校3年最後のクラス替えで再び同じクラスになり、私の前の席にその子がいた。今では、ちょっとした中高の思い出となった。

白いスカートを着ていた時「赤いしみがついている」と教えてくれた女性

また、大学生になった時にも同じような悲劇があった。その日はインターンか何かで、少しばかり大役を務める日だった。春先だったので白いスカートに紺色のカーディガンを羽織り、気合を入れていた。

いざ、自分の話す番になり席を立って、前に出て軽く挨拶をして再び席に戻ったその時、見ず知らずの後ろの席に座っていた女性に1枚の紙切れを渡された。「なんだろう」と思って思わず受け取ると、そこには「スカートに赤いしみがついてしまっています」と書かれてあった。

周囲は男性がほとんど。恥ずかしさと困惑で頭が真っ白になった。「どう思われただろう」「どうやって帰ろう」など不安の渦に引き込まれた。仕方なく、その場からお手洗いになんとか駆け込み、スカートのしみを取ろうと必死になってみたが白に赤だ。消えるわけもなかった。

結局、羽織っていたカーディガンを腰に巻いて隠すしかなかったが、もしそのまま知らずにスカートが赤く染まり続けていたらと思うと怖くてたまらない。勇気を出して紙を差し出してくれた、あの女性には感謝の気持ちでいっぱいだ。

生理の辛さを理解することで、「優しさ」に繋げることができるのでは

そんなわけで、私は勇敢で優しい女性たちに救われた。人のしんどさは100パーセント共感はできなくとも、その辛さを知っていることや理解することで、優しさに繋げることができるんじゃないか。

そういった意味で、女性の繋がりは強い。月一でやってくる厄介なイベントも日々の生活の中で互いに労わり合う関わりができたら、みんながより生きやすくなるはずだ。

お母さんが、お赤飯を炊いてくれた意味がようやく、少し分かったような気がする。