小学校高学年ぐらい。私はまあまあ仲の良い3人組の中にいた。夏になれば、プールやお祭りに出かけたし、誕生日会をしたこともあった。
でも、私にとって、その三人組は居づらかった。

1人でいた私を、先生がグループに入れるよう頼みできた3人組

そもそも、この3人組になるまでがおかしかった。
元々、私はひとりが好きだった。だから、いつも図書室で本ばかり読んでいた。別に孤独感はなかったし、むしろ自分だけに時間をあてられるのが気楽だった。でも、そんな私を見た担任の先生が、
「高林さんも仲間に入れてあげて」
とその2人に言い出したのだ。小学校高学年といえば、自分が女子ということを理解しはじめる年で、女子はいくつかのグループにもうなっていたのにも関わらず。
2人は、グループに快く受け入れてくれた。それは、とても嬉しいことなのだけれど、その2人とは、根本的に合うことはなかった。
私も必死に合わせようとしたが無理だった。自分を隠すことが出来なかった。だからか、いつも、2対1のグループで、遊ぶときに私を外して遊んでいることも多かった。二人は、そのことを秘密にしていたから、気を使わせてしまっていたたまれない気持ちになった。こうなるからやっぱり、ひとりが恋しかった。

「私の内申に響くの」。先生にも、言い返せなかった自分にも失望した

先生に直談判しに行ったこともあった。
「私は、1人の方が気楽だし、2人にも気をつかわせてしまって申し訳ないから1人でいさせてください」
「でもねぇ。高林さんに協調性がないから気を使わせてしまうんじゃないの。もっと頑張って」
「確かに私は、協調性がないかもしれません。だけど、自分を偽って過ごす友達関係は嫌なんです」
「大人はみんなそんなものよ。社会に出る時の練習だと思って」
「私は子供です。みんなは、気の合う友達と遊んでいるのにどうして、私だけ練習なんですか」
こんなことが少し続いたあと、先生はとんでもないことを言った。
「あのねぇ。高林さんが一人でいると、私の内申に響くのよ。先生の為に屁理屈言わないで。さぁ外で遊んでらっしゃい」
信じられなかった。大人は、みんな自分のことしか頭にないみたいだ。そう思った瞬間だった。
失望した。先生にも、言い返せなかった自分にも。同じぐらい失望した。
道徳の「みんな仲良く」なんて、ただの大人の都合だったのだ。

偽って輪に入ることが大人になる練習ならば、私はその先の練習へ

あれから、担任の先生が変わったことをきっかけに私はまた、1人になった。
新しい担任の先生は生徒には無頓着で、良い成績があれば、1人になっても構わない。そういう先生で私には、少し有難かった。
2人もだんだんお互いの悪口が増えてきた。そして、中学のクラス替えをきっかけにみんなバラバラになった。みんな、本当の友達と出会うことが出来た。ハッピーエンドだ。

私は、中学でも1人を選んだ。もう、誰にも利用されないために、自分のために生きるために。
なんと言われようが、構わない。人間死ぬ時は1人だ。自分を偽り輪の中に入ることが、大人になることへの練習ならば。私は、その先。死体になるための練習をしているのだ。